『アンティゴネ』『うちの子は』the nextage 2019 @ in→dependent theatre 2nd

2019年5月17日(金)の仕事帰り、日本橋のミニシアターへ観劇に行って来た。

女子(ギャル)たちのギリシャ劇『アンティゴネ Antigonē』
ジョエル・ポムラ(仏) Joël Pommerat『うちの子は Cet enfant』(2003) “『アンティゴネ』『うちの子は』the nextage 2019 @ in→dependent theatre 2nd” の続きを読む

「かっこいい」の否定形は? 初級日本語『げんき』

久しぶりに初級を教えている。しかも、今さらながら、初めての『げんき』(ジャパンタイムズ)である。すでに第2版が出ているというのに。『新日本語の基礎』や『みんなの日本語』等のスリーエーネットワークの初級教科書に慣れてきた私にとっては、何かと驚きの連続である。 “「かっこいい」の否定形は? 初級日本語『げんき』” の続きを読む

関西アクセントの影響:「慾ハナク」が「良くはなく」に! 『雨ニモマケズ』より

娘(小6)が小学校の朗読の宿題で宮沢賢治『雨ニモマケズ』を読んでいた。大阪でも北摂の子ども達は基本的に標準語アクセントで朗読していることが多い。娘もおおむね標準語アクセントで読んでいるのだが、たまに「?!」となることがある。 “関西アクセントの影響:「慾ハナク」が「良くはなく」に! 『雨ニモマケズ』より” の続きを読む

小説『アウトランダー11 妖精の丘にふたたびⅠ』フレイザーと苺

海外ドラマ『アウトランダー』シーズン1~3をNetflixの1か月お試しで見たあと、シーズン4を見るすべがないので、小説を読むことにした。シーズン4にあたるのが、小説『妖精の丘にふたたびⅠ~Ⅲ』である。

ジェイミーとクレアの乗った船が西インド諸島からスコットランドへ帰る途中で嵐に遭い、ジョージアに流れ着くところでシーズン3が終わった。シーズン4の舞台は新大陸アメリカである。

小説も1767年6月チャールストンから始まる。ジェイミーはノース・カロライナに住む叔母ジョカスタのもとをめざす。ジェイミーとクレアたちのアメリカでの冒険譚からは、当時のヨーロッパからの入植者がどういう生活を送っていたのかがよくわかる。奴隷たちとの関りも興味深い。

一方、1969年のクレアとジェイミーの娘ブリアナとスコットンランド人歴史学者ロジャーとの恋愛からも目が離せない。しかも、予告編でちらっと見てしまったところによると、この二人、どうも18世紀のアメリカに来るらしい。あ~、気になってしかたがない。

ジェイミーの「フレイザーFraser」という苗字を聞くと、フランス語のfraise(苺)が頭に浮かんでしまって、なんで「苺」? と思っていたら、なんと本当に苺と関連があるということが、本に出てきた。

叔母ジョカスタの所有する土地がどこまででどういう土地なのか確かめに何日も旅をしている際、野生の苺が群生している森を見つけ、これはフレイザーの土地にせよとの「しるし」ではないかとジェイミーが考えるくだりである。

今我々が食べる苺と比べ、ずいぶん酸っぱいものらしいと書かれているが、赤い実がなっている森を想像するだけで素敵なイメージである。

この本を読んでいると、スコットランドがフランスとの関りが強いとなにかと感じさせられることがしばしばある。カトリックを信仰していたこととも関わるのだろう。ドラマ『クイーンメアリー』のメアリー・スチュアート(1542-1587)はスコットランド女王でありながら、フランス宮廷で育っている。たぶんヨーロッパ諸国の距離的な近さと派遣争いの歴史がまだピンと来ていないせいだろう。

そして、18世紀北アメリカの植民地に移住したスコットランド人の多さも、この話で初めて知ったことである。イングランド人にキルトやゲール語を禁止されたスコットランド人が先祖代々の土地を捨て、アメリカに入植していったのか。なるほど~と唸らされた。

歴史が浅いという点で、今までアメリカという国にはあまり魅力を感じたことがなかったのだが、少し見方が変わるかもしれないと思った。

2018年米映画『ある女流作家の罪と罰』Can you ever forgive me?

ロンドンからの帰りの飛行機の中でなぜかこれを見ようと思った。批評家評価が異常に高かったからである。きっと通にはわかる芸術的な良さのある作品にちがいないと思った。

British AirwaysとJALの共同運航便だったが、この映画に日本語字幕はなく、音声の日本語吹き替えがあったので、日本語吹き替え音声、英語字幕で鑑賞することにした。仮に非常に軽い作品であっても、英語音声、英語字幕で鑑賞できる英語力は私にはない。今回はわからないという「もやもや」を抱えて鑑賞する気分ではなかったため、迷わず吹替えを選んだ。それは、ロンドンで何度となく英語のみの映画をNetflixで見て、眠りこけてしまったことで、英語には懲りていたというのもある。

この映画の率直な感想は、「華がない」である。主人公リー・イスラエル役を演じたメリッサ・マッカーシーは米国で売れっ子のコメディアンらしいのだが、私にとってはただの小太りのおばさんである。帰宅後少し調べてみたら、以前はもっと太っていたようだ。太っていることを武器にコメディアンとして成功したのかもしれないが、英語の意味もわからずビデオを見ていると苦しくないのかなと思ってしまう。アメリカではけっこういるというレベルなのかもしれないのだが。

親友のジャック・ホック役を演じたリチャード・E・グラントは洒脱でとてもいい役者だと思ったが、主人公二人がどちらも同性愛者で二人には恋愛のからみが全くない。純粋な友情、飲み友達でしかない。日本語の吹替え声優の声は彼の軽いちゃらんぽらんな感じのキャラクターをよく表していたと思うが、本人の声も聞いてみたかった。

この飲んだくれの年配の男女二人組が、あらゆる種類のタイプライターを手に入れて、手紙に気の利いたセリフを足しては古書店に売るという悪事に手を染める話である。なんか、地味。リー・イスラエルのかわいがっていた猫が死んだところはちょっとショックだったが。

批評家からの評価が高かったのはリー・イスラエルの毒舌ぶり、ジャック・ホックとの掛け合いのうまさのようなのだが、日本語吹替え音声ではきっとオブラートに包まれてしまっているのだろう。上手に翻訳してあるなぁとは思うところもあったが、全体としておもしろさが半減してしまっているのかもしれない。そもそもアメリカンジョークは私たちには笑えないものが多い。

捏造された手紙の表向きの書き手たちも、私にはどういう人物なのかイメージが描けず…おもしろさが今一つわからない。野口英世や原節子の手紙が出てきたっていうのなら、少しはイメージできるかもしれないが…。

というようなわけで、私にとって『ある女流作家の罪と罰』は、アメリカの批評家っていうのはこういう映画を高く評価するのね、という見聞を広めたに過ぎないというのが実際のところだ。

日本での劇場公開はなく、ネットでの配信とDVD発売だけだそうだ。確かにこれは一般の日本人にはおもしろさがわかりにくい映画だと思う。