「先生、問題があります」
授業中、中国からの留学生がこう言うことがある。
たいていは「質問があります」と言いたいだけなのだが、もしかすると何かトラブルがあるのかもしれないとドキドキする。
- 先生に問題がある。(つまらない授業をするとか)
- 教室に問題がある。(空調がきかないとか、工事の音がうるさいとか)
- 教科書の説明に問題がある。(矛盾があるとか堂々巡りだとか)
のように、何か(この場合だと、例えば日本語学習が)うまく行かないときに、その原因がどこにあるのかを示すのに「(~に)問題がある」が使われる。
日本語の「質問」と「問題」は、英語だとほぼ question と problem に相当する。だが、中国語の場合はどちらも《问题 wèntí》になる。
おもしろい質問が『知乎』という中国語のページに出ていた。
わたしはひとつ問題がある 答えてください 这样说对吗?是礼貌的说法吗? – Ga Ou 的回答
質問は、
「わたしはひとつ問題がある。答えてください」
と言う日本語は正しいか、失礼ではないかというものである。
それに対して日本で働いているというGa Ouさんが次のように答えている。
1.私は一つ問題がある…
你自己的问题你问我干甚。
日本語だと「自分の問題を私に訊いてどうする」という感覚が生じると言っているのである。
何か目標に向かって行動しようとしたが「人手が足りない」「予算が足りない」「予定が合わない」といった障害があるときに、「一つ問題がある」と言いそうだ。それに「答えてください」と言われても…という解釈である。
中国語母語話者がなぜ日本語で「質問がある」と言いにくいのかというと、それには訳がある。
中国語の《质问 zhìwèn》には以下のような意味があるからである。
『小学館日中辞典』によると、
zhìwèn【质问】
詰問(する).なじる.問いただす.
相手を非難するニュアンスを含み,使う範囲が狭い.日本語の「質問」は“问”“发文”“询问”“提问”などを用いる.
と書かれている。
日本語の「質問」は単なる question であることが多いが、「問いただす」要素がないわけではない。
「なぜ遅刻したのですか」
「なぜ宿題をして来なかったのですか」
などと言うと「問いただす」ニュアンスを帯びるが、ただ純粋に理由が知りたいだけだという可能性もないわけではない。
昔、ある先生が日本で議論が活性化されにくいのは、理由を尋ねる質問を批判と受け取ってしまうからだと言っていた。議論の場では、批判と受け取るのを辞め、意見を交換することが大切だ、とも。
「質問」と「問題」のちがいから徒然なるままに考えを綴ってみた。