親の愛が試される、子どもの夏休みの課題

今日は8月31日である。いよいよ子どもの夏休みが終わる。でも、今年は9月1日、2日が土日のため、9月3日まで宿題の猶予がある。

例年8月31日にはうちの子は徹夜に近い状態で自由研究を仕上げ、ふらふらになりながら登校する。いつもなら、9月1日には解放されるはずの子どもの宿題に、今年は2日の晩まで苦しめられるわけだ。

夏休みの課題の出来不出来は、はっきり言って子どもの責任ではない。親がどれだけ手を出すかだと思う。

子どもの力だけでできるように学校側がきちんと指導したのかというと、否であろう。自由研究のやり方にしても、読書感想文の書き方にしても、学校で指導されたこともないのに、子どもが勝手にやってくると思ったらおおまちがいだ。

大学生(私が知っているのは留学生だが)ですら、半年がかりで指導してどうにかこうにかできるというものなのに。

親が全く手を出さないと、とても見られたものでない、ひどいものになってしまう。かといって手を出し過ぎるのも考えものだ。自主性が全く育たない。次は何を書いたらええの? お母さん」などと言って、全く自分の頭で考えようとしなくなる。いったい誰の宿題なのか。

親が手を出すべき匙加減が本当に難しい。

本音を言うと、時間があっても子どもの宿題に付き合うのは非常に億劫である。見たら口出ししてしまうし、親が口出しすると子どもは自分のやった仕事にケチをつけられ、傷ついてしまう。どちらも不幸になる。

日本の家庭で親が子どもを褒めて育てられるようになるには、あと50年くらいかかると思う。それなのに、学校ななぜ家庭にこんな大きな課題を押し付けてくるのか。

2018年8月29日、メルカリで夏休みの宿題の売買や代行を禁止したというニュースが流れており、宿題を人から買っていた親がいたのかと驚愕。

例えば、2017年8月25日付、HUFFPOSTでは、
メルカリで読書感想文が数百円で買える 母親「一緒にやる時間がない」

読書感想文 300円。安すぎるのでは? 藁をもすがる思いで、買ってしまう親もいたのだろう。実際、私のように夏休みのある暇な親ばかりではない。どうしても、子どもの宿題に付き合う時間のない人もいるだろう。

親のモラルの問題や本当に子どものためになるのかという問題があるのも事実だが、「親の愛が試される、子どもの夏休みの課題」という見解もあるようだ。日本にはお弁当作りといい、夏休みの課題といい、親の愛を試すような機会が多すぎはしないか。少子化が進むのは、親になることにそういう負担が含まれているのが垣間見えるからではないだろうか。

本当に子どもの成長を考えるなら、学校の先生たちに課題の出し方を見直してほしい。子どもが自分でできること、学校で指導した範囲内で課題を出していただければと思う。

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