足りないことば『寝ても覚めても』試写会

台風の来る中、試写会に行った。久しぶりの邦画である。

『寝ても覚めても』
2018年9月1日公開予定。濱口竜介監督、東出昌大・唐田えりか主演。

同じ顔をした二人の男の間で揺れ動く女性の恋心を細やかに描いた作品である。

恋に落ちる瞬間がとっても唐突。全くことばを介さず。いきなり? 恋愛なんてそんなものかもしれないが、それにしても…。

映画を通して何度もコミュニケーションの破綻が描かれる。場が凍り付く。作り手はそれを楽しんでいるかのようだ。

例えば、役者の卵マヤの舞台ビデオを見て、帰ると言い出す串橋。引き留められると初対面なのに本人の前でこき下ろし始める。

ことばで伝えるべきことがしばしばスキップされ、その破綻の末に強い人間関係が生まれる。

最初の舞台は大阪、大きな画面に映し出された俳優たちが大阪弁で話すのだが、なんだかはらはらする大阪弁。かなりうまいが、どうもネイティブスピーカーではない。

その後、主人公たちは東京や東北にも行くのだが、方言が脇役も含め、その人のキャラクターと強く結びついている。東出昌大が一人二役で演ずる丸子亮平は大阪出身、鳥居麦は北海道出身というように。

ただ、ステレオタイプ的なお笑いの大阪弁ではない。冗長なセリフが一切排除されることで、映画の緊張感が高まる。登場人物の口から紡ぎだされるのは、強い思いをストレートにぶつける真剣なことばたちである。

映画の世界はこれでよいし、フランス映画などだとこういうのはありありなのだが、実際のコミュニケーションとしては少々怖ろしいものがある。

邦画なら、日本語の教材にならないだろうかという思いで見てしまうのだが、やはり語学学習には映画よりドラマだと思う。ドラマは画で見せるより、セリフで伝えることが多いためだ。

ヒロインの唐田えりかはなかなか魅力的だったのだが、なぜか感情移入できなかった。なぜこんなに引きながら見てしまうのだろう。せっかくの恋愛映画なのに、全く胸がキュンとせず、冷静な目で「おいおい」とか言いながら傍観している自分がいた。

鳥居麦なんかについて行ったら…身の破滅! としか思えなかった自分は年齢を重ねすぎたのだろうか。それにしても丸子亮平、そこまで落ち込むなよ、格好悪いぞ。

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