ドラマ《植劇場》シリーズは、王小棣をはじめとする監督たちが若手俳優の発掘を目指したドラマだという。《花甲男孩轉大人》に出ていた若手俳優たちもほとんど知られていなかった人たちで、一気に人気が爆発したそうだ。
若手たちは撮影が終わると夜遅くても集まって「今日の演技はここがうまく行かなかった。今度はこうしてみたい」といった意見を言い合う《檢討會 jiǎntǎohuì》を開いていたそうである。《小燕有約》というバラエティー番組で聞いた。
《檢討會》?
これは文脈があるところで聞いたのですぐ「反省会」だと理解できたのだが、文脈がよく理解できていなければ日本語の「検討会」の意味に引きずられてしまいそうである。その日の撮影がやっと終わったのに、また明日以降の何を検討する必要があろうか…などと考えてしまうかもしれない。
中国語の《檢討》と日本語の「検討」はどちらも動詞だが、意味にずれがある。
中国語では、《檢討自己》のように主に自分自身が行ってきたことに関して、反省、自己批判することを意味する。
日本語では、「よくご検討ください」「善後策を検討する」のように今後どうすべきか討論したり、考えたりすることである。
中国語では、主に自身の過去の行動について《檢討》(反省・自己批判)するのに対し、日本語では、今後のことについて「検討」(討論したり熟慮したり)する。時間軸のどちらを向いて考えるかがちがうように思う。
そういえば、「検討書」は日本語だと「開発事業構想検討書」「費用対効果検討書」「地盤調査検討書」などと使われるが、中国語の《檢討書》は《工作檢討書》などと使われ、「始末書」か「反省文」に相当する。
《检讨自己》には文化大革命など共産党的なものを感じるが、台湾でも《檢討》するのか。その《檢討會》のおかげで彼ら若手俳優たちは大きな成功をものにしたと言えよう。
過激なものはさておき、向上のためには何事にも「ふりかえり」が必要である。最近日本語の授業では特に「ふりかえり」が重視されている。教師のフィードバックより、学習者自身の気づきの方が上達に結びつきやすいのである。
一番いけないのはやりっぱなし。反省の色なし。そして、同じ失敗を繰り返すことである。