あーあ、終わってしまった。
光頭と阿嬷(おばあさん)が亡くなった。
家族みんながそれぞれいろんなことに気が付いてよくなろうと思い始めたところで終わった。
盧廣仲『魚仔』を聞くと、どこにいてもこのドラマの雰囲気に戻れる。
それぞれが関わった人たちを許し、自分も楽になって、前へ進もうと思える、そういうドラマだった。
当初登場人物が多過ぎてたいへんだと思ったことは書いた。登場人物は多いが、みんなそれぞれにドラマがあった。すべてが描かれるべき人物だった。このドラマが暖かいのは「完璧な人はいない、すべての人が何らかの悩みを抱えてもがいている」ことを肯定的に描いている点である。
《魯蛇》という字幕を見て、最初は何のことかと思ったが、英語のloserが中国語に音訳されたものだった。ここ、5,6年の間にどっと広まった語らしい。日本語にするなら「負け犬/負け組」あたりか。
このドラマはなんらかの意味で《魯蛇》な人々が前を向き、再出発する物語なのだ。
象徴的な小道具として登場する《檳榔》。
20年前に台湾を旅行したとき、やはりこの不思議な嗜好品に出会った。
地方でバスに乗ったとき、運転手だったか車掌だったかが何やらくちゃくちゃと噛んでいたものを道に吐き捨てた。道には赤い液体がぴしゃっと飛び散った。何かと思い、人に尋ねると、そして一口食べてみろという。青い実に香辛料が挟んであるようなものを差し出された。
口に入れると口の中がくゎっと熱くなった。辛い! とても噛み続けられず、吐き出した。
何のためにこれを口にするのかと尋ねると、たばこのようなものだと言われた。
そして、それから何年も経ったある日、台湾の留学生と話していて、檳榔はたいていきれいな若いお姉さんが派手な短いスカートを履いて売るのだと聞いて二度驚くことになる。
確かに《花甲男孩轉大人》に出てくる檳榔屋のステイシー姐さん:史黛西(谢盈萱)はまるでピンクレディーみたいな恰好で、「なるほど」と唸らされた。
檳榔屋に入り浸る花甲の父親も《魯蛇》なら、檳榔屋で青春を浪費してしまった史黛西も《魯蛇》…?
だが、そこでもがきながら、懸命によりよい自分を目指そうとする。決して人を負かして這い上がり、成りあがってやろうという感じでないところがまたよい。自分が自分に自信を持てる方向へ向かって進んでいけばよいのだ。