美化しすぎでは? もやもやの残る『グレイテスト・ショーマン』

遅ればせながら、映画『グレイテスト・ショーマン』を観てきた。

米国で公開直後はあまり評価されず、興行成績もよくなかったのが、じわじわヒットするという珍しい展開なのだそうだ。

知り合いに「ものすごくいいから是非観て」とすすめられ、そこまで言うならきっと何かあるのだろうと観に行くことにした。

耳に残る音楽や豪華俳優陣による胸を打つシーンの数々。なるほど、これはヒットするよと思える要素が多かったのだが、見世物小屋のおっちゃんをここまで美化してしまってよいのかという点がとげのように胸にささってしまった。

映画を見終わってから、P. T. バーナムについてググると、あんまり人相のよくないおじさんの写真が出てきた。ヒュー・ジャックマンとはえらいちがいだ。

現実は虚構の世界とは全くちがう。エンターテイメントとして美しく脚色されたものを私たちは見せられているに過ぎない。それに感涙している。そこに虚しさを感じてしまうのである。

特殊な外見を持つ人たちを見世物にするバーナム。それまで、隠れて生きてきた人たちが自身の存在を肯定的にとらえられるようになり、自信を取り戻す。それが主題歌 This is Me!につながる。

偏見や差別が描かれていないわけではない。だが、話がひどく単純化されているのである。

米ドラマ『ゴシップガール Gossip Girl』でネイトがしばしばダンに言う。
「字幕付きの外国語映画なんか観て本当におもしろいの?」

ダンとヴァネッサは外国語の映画をよく見ている。「溝口」とか「ふたりのベロニカ」とか。どうもネイトにしてみると、それは芸術的かもしれないけれど、こむずかしい映画でおもしろくないらしい。

ネイトは字幕のない、英語で話されている映画(=アメリカ映画)しか見ないらしい。

なぜ楽しくもない映画をわざわざ見る気になるのか。ネイトの気持ちもわからないではないのだが、果たしてそこまで単純でいいのか。

ぐるぐると答えの出ない問題について考えてしまう映画だった。

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