「高所得者層は余裕で生活している」

学部留学生のレポートに現れたこの表現。

努力家の真面目な学生が書いたレポートで、テーマは『子どもの貧困』。

若者独特の俗語が、注意深く整えられた堅めの書き言葉が居並ぶ文体の中で、異様な匂いを放っているのが、私にはとても興味深く思えた。

「高所得者層は悠々と生活している」と言いたいのだと思う。

だが、私がこの学生に伝えるべきことは、「余裕で」は俗語的な表現なので、「余裕を持って」と言い換えるべきだということだろう。

「予選は余裕で突破した」

「こんなレポート、あと3時間もあれば、余裕で書き上げられる」

あるいは、「余裕綽綽で」の「綽綽(しゃくしゃく)」が省略されたのかもしれない。

留学生でなくとも、このような文体の不一致はよく起こるように思う。特に論文等にあまり触れたことのない若者なら、どういう表現が俗語的かを察知する感覚が鈍い可能性が高い。

私が学部生の頃、恩師がレポートに「いまいち」などという言葉を使ってはいけないと言っていたのを思い出した。「今一つ」と言い換えるべきだと言われ、なるほどと思った。その頃は「いまいち」がレポートにそぐわないスタイルだということに指摘されるまで気づかなかった。

留学生のレポートによく出てくる話し言葉的な表現は、以下のような語である。それぞれ下のような表現に書き換えるよう指導している。

【話し言葉的】「いちばん」「たくさん」「もっと」「だんだん」
【書き言葉的】「最も」「多くの」「さらに」「徐々に」

位相の問題は、母語としない人たちにはなかなか感覚がつかめず、厄介だろうと思う。それでも、日本で就職し、仕事で日本語を使って行くなら、避けては通れない問題だ。

ただ、非母語話者に完璧な規範を要求するのは酷で、日本語母語話者の側もある程度慣れて行かなくてはならない。

だが、往々にして規範を逸脱するのは日本語を母語とする若者だったりするのだ。そして、彼らのパワーが日本語を変化させていくのだ。

「地味に」や「何気に」の使い方に目くじらを立てていても仕方がない。

目の前で進むことばの変化を楽しむことにしよう。

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