2011年顧長衛監督の中国映画『最愛』(郭富城、章子怡主演)で、驚いたのは香港四天王の一人である郭富城が陝西省方言を話していたことだ。汚い恰好で田舎モノを演じているのにも驚いたが、吹替えでなく自分で話していることに驚嘆した。この準備に2か月を要したらしい。
香港人俳優は、北京語を話しても吹替えにされることが多い中、よくぞあの訛りをマスターしたものだと思う。
英語の映画だと米国人がイギリス英語で話す、英国人が米語で話すというのはよく耳にする。例えば、『ブリジット・ジョーンズの日記』のレネー・ゼルウィガー、『リンカーン』に出演したダニエル・デイ=ルイスなどである。体重を13㎏増やしたり、片足で生活したり、彼らの演技にかける情熱を見れば、ことばをマスターすることなどたいしたことではないのだろう。
私は吹替えで映画やドラマを見るのが嫌いだ。アニメは仕方ない。だが、生身の人間が演技するのであれば、彼らがその場で本当に言ったセリフを聞きたいのである。
もちろん録音の状態が悪くてやむを得ずアフレコ、ということはあるかもしれない。それでも、演じた本人がそのときの気持ちになって声をあててほしい。
声優の仕事が悪いと言っているのではない。口がパクパクしている動画に合わせてぴったりとセリフを話すのはすごい技だと思う。だが、吹替えはやたら滑舌がよすぎたり、セリフの言い方が大げさだったりして、ストーリーにのめり込めなくなってしまうのである。特に中国語の場合。
それはさておき、ドラマのことばで重要なのはリアリティーと観衆の理解である。これがしばしば衝突することがある。
時代劇などでその時代に使われていたことばを仮に忠実に再現したとしたら、現代人は理解できないし、誤解が生じる場合もある。それでは、楽しめなくなるので、ある程度妥協する必要がある。雰囲気だけ江戸時代風、侍風、町人風であればよいのである。
方言に関しても「おしん」が当時の本物の山形弁を話したら、きっとセリフの意味がわからなくなる。ある程度理解可能な山形弁にしてあるのだろうと思われる。
ただし、トレンディードラマになると、そういう地方色は田舎臭いと敬遠されるのかもしれない。そうなると、その国の人がどんなことばにステータスを感じるか、威信が高いことばを話すことが重要になる。
《老男孩》Old Boy では、上海が舞台でありながら、東北地方出身の俳優たち(劉燁・雷佳音・郭姝彤)が舌を巻きたおしていて、台湾ドラマに慣れた私には違和感大爆発だった。
台湾人の林依晨まで儿化音。車で事故に遭い、病院に運ばれ、ベッドの上で目が覚めたとき「ここはどこ?」というのに「在哪里?」ではなく「在哪儿?」と言っていた。《普通話》を話すように指導が入っているのだと感じた。上海人の役なのだから、大陸風に話さなくてはならないのは、先ほどの米語イギリス英語の例と同じであろう。
それにしても、広い中国。標準語化がそんなに簡単に進むとは思えない。
もう少し上海っぽい《普通話》というものがあるだろうと思うのである。沖縄のウチナーヤマトゥグチのような。伝統的な沖縄方言ではないが、沖縄風の標準語である。意味はわかるが沖縄独特の味わいがある。
現代の中国人にとって果たして北京や東北地方はあこがれの地なのだろうか。上海や広州も魅力的な町だと思うのだが、言語的には標準語としての権威から《普通話(北京語)》が優勢なのは否めない。
内陸からの流入人口が多く、上海語を話す人はどんどん減っているとは聞いているが、上海の近郊の人は町により多かれ少なかれ、広い意味での呉方言を使用しているという。その呉方言もいずれ《普通話》に駆逐されてしまうのだろうか。
ここ何年かのうちに一度かの地を訪れ、自分の耳で確かめてみたいと思う今日この頃である。