『本朝廿四孝』国立文楽劇場

戦国武将好きの中1の息子を連れ、文楽を観に行った。『本朝廿四孝』は山本勘助の話とあって、それなら見てみたいと息子が言い、初文楽を体験してみることになった。

28日に人間国宝竹本住太夫さんが亡くなった直後とあって、朝10時にチケット売り場が開くのを待っていると、テレビカメラが来て、後ろに並んでいたおばあさんを捕まえて、「一言お願いします」とやっていた。

4月の公演は五代目吉田玉助の襲名披露もあり、濃いピンクの裃をつけた人形遣いたちがずらりと並ぶご挨拶はけっこう楽しめた。伝統芸能文楽の世界では50歳を超えてもまだまだ若輩者らしい。

閉口したのは前の座席と高さにほとんど差がなく、前に座っている人の頭で舞台が半分隠れてしまうことである。映画館や他の劇場のようにもう少し後ろの席を高くすればよく見えるのにと思ったが、それでは人形遣いの足元が見えてしまい、都合が悪いのだろう。人形浄瑠璃、文楽を演ずるためだけに作られた劇場はやはりこうでなくてはならないのだ。

連休の真ん中の、天気のいい日曜日で、今日はほぼ満席であったが、普段の客席はどの程度埋まるのだろう。年配の男性が一体の人形に何人も群がり、人形を操る様子を見て、「大の大人が大真面目な顔で人形遊びをしているみたい」と評した夫は「退屈で寝てしまいそうだ」と言って観劇に来なかった。

人形はよくできているし、動きも非常に洗練されている。それでも、おじさんたちの顔がすぐ横に見えていると物語に集中できないというのが夫の意見であった。

昔、学生時代に初めて文楽を鑑賞したときは、国文専攻であったにもかかわらず、義太夫の語りのことばがほとんどわからず、話について行けなかった記憶がある。しかし、今回は字幕もプログラムもあったので、ずいぶんよくわかった。やはり文字は大きな助けになる。

しかし、文楽は本当にこのままでよいのだろうか。

伝統芸能としての文楽は完成されている。だが、補助金なしでやっていけないようでは、爆発的に娯楽の選択肢が増えた現代を生き抜くのは厳しい。いずれ淘汰される運命にあるのではと考えてしまう。

故竹本住太夫氏が日経マネー2012年5月号で語ったように、宇宙人や飛行船を出すような新作をどんどん作り、前向きに新しいファンを開拓して行った方がよくはないか。三谷幸喜も、井上ひさしも、どんどんやってほしい。何なら男ばかりの世界に固執するのをやめて、女性や外国人も入れて活性化してはどうかと思ったりもする。(相撲の世界は外国人だらけになって久しいのに、いまだかたくなに女性禁制にこだわっている…不思議だ)

この3,4年でバレエ鑑賞にすっかりハマった私は、当初バレエも古典芸能の一つで退屈だという印象を持っていたのが、何度も見ているうちに、その魅力に取りつかれてしまった。同じように古典ならではの魅力がきっと文楽にもあるのだろうと思う。

ただ、CGやロボットといった化学技術が進むこの21世紀に、「大の男の人形遊び」を見に行きたくなる仕掛けを作るには、相当のチャレンジが必要ではないかと今日の舞台を観て思った次第である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です