エマ・ワトソンとダン・スティーヴンスの『美女と野獣』(2017)を見たい見たいと思いながら、いまだに未見である。
ハーマイオニー・グレンジャーとマシュー・クローリーが共演するなんて見逃せる?
と思いながらすでに1年が過ぎてしまった。
ちょうどディズニー実写版『美女と野獣』が封切られたころ、レア・セドゥとヴァンサン・カッセルの『美女と野獣』(2014仏)をテレビで見た。
私はフランス語を聞くだけでその響きにうっとりしてしまう。ヴァンサン・カッセルの毛深さに辟易とはしたものの、レア・セドゥ、ディテールに凝ったストーリー、美しい画面などすっかり気に入ってしまった。最後の方のCGは必要性も不可解でいまひとつではあったりもしたが。
さて、今日の話題はフランス版『美女と野獣』からさらにさかのぼること20余年。
1991年のディズニーのアニメ映画『美女と野獣』にまつわる「ちょっと」した思い出である。
京都のある日本語学校の初級クラスに一人のフィリピン男性がいた。絵がうまく、頭のいい、ユーモアに富んだ好青年だった。日本語を吸収するスピードも速く、コミュニケーション能力が非常に高かった。
複数の日本人女性に「愛してる。結婚して。」と言われたと言っていた。
「日本では『愛してる』なんて恋人同士でもなかなか言わない」とクラスで話した私にこっそり教えてくれたのだ。
ある日、クラスで好きな映画の話になり、彼は「最近見た中では『美女と野獣』がとてもよかった」と言った。当時、アニメ映画としては破格の観客動員数を誇っていたと記憶している。
私はそのときはまだ見ていなかったのだが、その後何週間かの間に見る機会があった。
日本の少女漫画やアニメに慣れ親しんでいた当時の私には、ディズニーのヒロインのキャラクターはちっともかわいく見えない。リアルすぎるというのかなんというか。筋肉ムキムキに描かれる野獣をはじめとする男たちもちょっと趣味に合わない。
しかし、躍動感に富んだカメラワークにはとっても感心した。別に小津安二郎ばかり見ていたわけではないのだが、カメラが登場人物について行き、その周りをくるくる回るなどというカメラの動きは当時のアニメでは珍しかったのではないかと思う。
ヒロイン、ベルが本好きの賢い女性として描かれていた点も印象的だった。意志の強い自立した女性像は新鮮だった。
確かあれは修了式のあと、その映画をすすめてくれたフィリピンの彼に『美女と野獣』を見たと伝えた。
「どうだった?」と訊かれ、私は深く考えないままこう言ってしまった。
「あれは、ちょーっとよかったね」
私としては「思った以上に」よかったと言いたかったのだが、彼はがっかりしてしまった。
「えー? ちょっとだけ?」
初級で習う「ちょっと」は「少し」の意味と、あとはとっても便利なお断りの「すみません。ちょっと…」だ。
例えば、以下のようなものである。
「ここに車を停めてもいいですか」
「すみません。ここはちょっと…」
では、辞書には「ちょっと」の意味はどのように説明されているのだろうか。
ちょっと 『デジタル大辞泉』小学館
1 物事の数量・程度や時間がわずかであるさま。すこし。「―昼寝をする」「―の金を惜しむ」「今度の試験はいつもより―むずかしかった」
2 その行動が軽い気持ちで行われるさま。「―そこまで行ってくる」
3 かなりのものであるさま。けっこう。「―名の知れた作家」
4 (多くあとに打消しの語を伴って用いる)簡単に判断することが不可能なさま、または、困難であるさま。「私には―お答えできません」「詳しいことは―わかりかねます」
1と4の使い方は初級で教えているが、3の使い方はさすがに知らないのが普通だ。
それをうかつに使ってしまった私が悪い。だが、私たちの頭の中には、「ちょっと」のこの4つの意味がここまで整然とは分化されずに収納されていて、こういうときに「ちょっと」が口から出てきてしまうのだから、仕方がない。
冷や汗をかきながら一生懸命意味を説明したが、納得してくれたかどうか…
日本語教師はいかなる場合も語彙をコントロールすることを肝に銘じておく必要がある。
そういえば、ジャン・コクトーの『美女と野獣』(1946)も見なくっちゃ。