Sherlock 2-2 バスカヴィルの犬における ‘cell’ の使用について

携帯電話が 日常生活に不可欠なデバイスとなって久しい 。アメリカで cell phone、英国で mobile phone と言うと聞いていたが、日本語で「携帯」と省略されるように ‘cell’ や ‘phone’ などと呼ばれるようになってきているという。シャーロックのシーズン2の2「バスカヴィルの犬」の中で、フランクランド教授がシャーロックの携帯番号を尋ねるのに cell number と言ったために「アメリカ人ですね」と言われる場面がある。この人物は1970年代にアメリカにいたが、このイギリスの架空の地名であるバスカヴィルには少なくとも20年以上住んでいるようだ。

私の疑問は、このような経歴の持ち主が果たして cell number などと言うだろうかという点である。1970年代に携帯電話は存在していない。アメリカにいたときにないものをイギリスに来て20年も経つのに米語で呼ぶ可能性が低いと言いたいのである。ことばというものはその時代の生活とともにあるからだ。

例えば、1990年代中国で携帯電話は「大哥大 dàgēdà」と呼ばれていて、誰もが持っているという品物ではなかった。その後一般に普及してからは「手机  shǒujī」と呼ばれるようになる。私が中国にいた1990年~1991年はまだ携帯電話などという代物は出回っておらず、のちに「BB机 bībījī」と呼ばれるポケベルすら留学生はもっていなかった。帰国後に学習したこの手の語彙はどんどん入れ替わっていくため、覚えてもすぐ使われなくなるという印象を抱いたのを覚えている。そして、2010年頃受験した中国語能力検定試験でスマホとガラケーについて中国語で説明する作文が出て、この二つを言い分ける術を知らず、非常に困惑した記憶がある。

フランスにいたのは1997年~1998年なのだが、そのときもまだ日本との主な通信手段は、郵便かテレホンカードを買って公衆電話からかける国際電話だった。私の知る範囲では学生が自分のパソコンを持ってくるということは一般的ではなく、インターネットの環境は大学の図書館のPCルームくらいしかなかった。フランスのPCでは日本語を打つことができず、日本へのメールはローマ字で書くしかなかった。

そんな時代にしかフランス語を使っていなかったから、Duolingoでダウンロードするという仏語 télécharger が出てきても、 なかなかすっと体に浸み込まない。 そういうことをフランス語環境でした経験がないのだから仕方がない。

さて、なぜこのことを思い出したかというと、ドラマ『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』を見たからである。この話はホームズがイギリスからニューヨークへやってきたという設定で、相棒のワトソンはなんとアジア系アメリカ人の女性である。このシーズン1第1話でイギリスから来てそれほど時間のたっていないホームズ(ジョニー・リー・ミラー)が被害者の ‘cell phone’ を見せてくれとグレッグソン警部に言う。おっ、すでに cell phone と言っていると感心したからである。

郷に入っては郷に従えではないが、実際に生活を始めてしまえば数日で慣れるのかもしれない。だが、地下鉄のことは ‘subway’ ではなく、依然 ‘tube’ と言っていた。地下鉄は携帯ほど生活に密着していないということなのか、それとも話す相手や場面によるのか…。深い意味はないのかもしれないが…。

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