『アンティゴネ』『うちの子は』the nextage 2019 @ in→dependent theatre 2nd

2019年5月17日(金)の仕事帰り、日本橋のミニシアターへ観劇に行って来た。

女子(ギャル)たちのギリシャ劇『アンティゴネ Antigonē』
ジョエル・ポムラ(仏) Joël Pommerat『うちの子は Cet enfant』(2003)

ギリシャ劇は、容赦のないギリシャ語の地名・人名入りの膨大な量のセリフに圧倒された。舞台芸術専攻の学生たちの緊張感を伴った舞台の様子から、ギリシャ悲劇の世界の話し方の日常との乖離を楽しんだ。

「テーバイ」ということばが何度も出て来るのだが、地名だと知ったのはずいぶん話が進んでからのことだった。チラシくらい読んでおけばよかった。噛みそうな地名人名が続出するなか、役者さんたちはすばらしい滑舌で立派に演じていた。

実際のやりとりでは人は言い間違えたり言い直したりすることがよくあるのに、ここまで流暢なのは実は逆に不自然なことだと考えていたら、役者さんの一人が台詞をかんでしまった。すると、そこで起こったことは実に不思議なことだった。

かんだとたんにその人が「素の自分」に戻ってしまったのである。完璧な台詞をすばらしい滑舌で発することでかぶっていた役の仮面が、台詞をかんだ瞬間にとれ、「自信のない大学生」の部分がちらっと垣間見えてしまった。もちろん彼女はほどなく仮面をかぶりなおし、何事もなかったように劇の世界に戻って行ったのだが。役者たちがプロでないからこそのおもしろい場面を見せてもらった。

「女子(ギャル)たちの」と銘打ってあったので、女性しか出ないのかと思っていたら、中に男性がスカート様のものを着て混じっていた。最初男性が3人いると思って見ていたが、そのうちの1人の手の動きが妙になまめかしい。ダンスがうまいのだ。何やってた人なのかなと思いながら、凝視していると、胸がふくらんでいて、ブラをしている。ショートカットの女性を男性だと見間違えていたらしい。

以後、彼女から目が離せなくなってしまった。『うちの子は』では、学校に行こうとする小学生の息子を引き留める母の役やラスト第10場の自由奔放な母役でも少し怖いくらいの緊張感がとてもよかった。

『うちの子は』はジョエル・ポムラが、フランスの「家族手当基金」の委嘱を受け、地方の福祉施設を取材して書いた2003年の作品だそうだ。フランスの労働者階級の現実が描かれているのだが、こちらは『アンティゴネ』とは異なり、固有名詞や風俗的説明を極力排除してあるため、自然に日本の私たちの話として入って行ける。

しかし、なぜか途中から「あ、これはフランスの話だ」というにおいがまとわりついて離れなくなってしまった。学校に行こうとする小学生の息子を引き留めて、愛を確かめようとする利己的な母は日本ではあまり想像できない。そして、最後の場で、母が娘に連発する「あなた」という二人称。最後の方は「あなた」を含む台詞をフランス語だと思うことにした。そう考えると違和感はないのである。

外国人に日本語を教えていると、次のように私に訴えてくることがある。日本語では「あなた」をほとんど使わないから、使わないようにしようと思うが、それはとても難しいのだ、と。

だが、『うちの子は』を最後まで見てこうも思った。日本人に比べて、フランス人はずいぶん気楽に子育てをしているように思っていたが、意外と普遍的な部分が多い。どこの国へ行っても親子の問題というのは変わらないものなのだ。

少し親としての日ごろの自分を客観視でき、子どもをもっと大事に育てようと思えた夜のひとときだった。

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