2013年仏映画フランソワ・オゾン監督『17歳』

2018年8月に見た『二重螺旋の恋人 L’Amant double』に出ていたマリーヌ・ヴァクトMarine Vacth のデビュー作『17歳Jeune et Jolie』をNetflixで見た。

夏休み海にバカンスに来ているイザベル(マリーヌ・ヴァクト)は17歳の誕生日の直前に初体験を済ませるが、そのドイツ人の彼には熱を上げることなく別れてしまう。その年の秋、彼女は1回300ユーロで売春を始める。いろいろな男たちが客になるが、その年の冬に白髪の常連客、ジョルジュがことの最中に亡くなってしまう。それ以後、ピタッと売春はやめるのだが、警察がイザベルを探し出し、母に売春と死亡事故の事実を告げ…といった内容である。

すでに、17歳のイザベル役には感情移入しにくい自分に少々ショックを受けた。さらに悲しくなったのはイザベルの母の態度に我が身を見るようだったことだ。17歳の娘が親に内緒で売春していたと知らされたら、確かに取り乱して娘をたたいてしまうだろうと思った。だが、この映画から伝わってくるのはそういう母の行動すべてが娘に全く響かないということだ。

金銭的に何も不自由していないイザベルは、インターネットで客を募り、メールしてどんな男が来るのか想像し、実際に会うというプロセス自体にどうも面白みを感じていたようだ。しかも、高額の見返りが手に入る。

しかし、この映画がすごいのは、春になって亡くなったジョルジュの妻(シャーロット・ランプリング Charlotte Rampling)がイザベルに会いに来るところだ。

「私に勇気があったら、男にお金を払わせてセックスしてみたかった。でも、できなかった」

年老いたジョルジュの妻が言うこのセリフは秀逸だ。オゾンは本当にすごい。

「17歳で出会って、私たちは愛し合っていた。最後まで。でも、ジョルジュにはずっと女の影が絶えなかった。はじめはつらかったが、慣れて行った」

ジョルジュの妻は、男女の立場の違いに不公平感を感じていたのか、ある意味イザベルをうらやましがっているかのようだ。売春の何が悪いのか。私も若ければ男たちを手玉に取ってみたかったというのである。

「今は年老いて、お金を払わなければならないのは私の方だけど」というシャーロット・ランプリングの白髪と青い目が美しかった。

実際には、劇中の精神科医が言うように未成年の売春には大きな危険が伴うため、警告が必要だと思うが、確かにそういう見方もできる。そして、残された妻としては夫の最期を見た女性に会いたいというのは非常に理にかなっていると思う。

マリーヌ・ヴァクト Marine Vacth という女優、細身できれいな身体をしているとは思うが、顔がきれいかと言われるとあまり好きなタイプとは言えない。

ただ、ベッドに寝そべって上を見上げたショットだけは『白い婚礼 Noce Blanche(1989)』のときのヴァネッサ ・パラディVanessa Paradisを彷彿とさせる。17歳くらいの少女が中高年の男性を迷わせてしまう話はすでに星の数ほど世に出回っているのだと再認識した。

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