日本語の「失敗」と中国語の《失敗》のちがい

そんな明るい色の髪のまま就活に行ったら、どんなに優秀でも面接で(   )てしまうよ。

この括弧に適当な表現を入れる問題を中国人留学生に出してみた。テキストに載っていたのは「はねられ」だった。実際は「落とされ」と書く人が多いだろうと予想していたが、ほとんどの答えは「落ち」だった。意外だったのは3人ほどが「失敗し」と書いていたことだ。

中国語母語話者が使うこの「失敗」は日本語としてどうもおさまりが悪い。

日本語の場合、面接でおかしなことを言ってしまったとか、お茶をこぼしてしまったとか、面接の場で何か失態を演じたという出来事がないと「失敗」とは言いにくい。明るい色の茶髪のまま面接に行ってしまったことは準備不足なのであって、「失敗」ではない。

白水社の『中日辞典』でshībài【失敗】は以下のように説明されている。

1 敗れる、負ける ⇔胜利
战争失败了。=戦争に敗れた.
这么多次比赛,她只失败过一次。=こんなにたくさんの勝負をして,彼女はただ1度敗れただけだ.
2 失敗する ⇔成功
考试失败了。=試験に失敗した.
他准备得很好,这次考试失败不了。=彼は準備万全だから,今回の試験は失敗しえない.
失败是成功之母。=失敗は成功の母である.

日本語と乖離があるのは1の「敗れる、負ける」の方だろう。

しかし、「面接で失敗するよ」というのは、上の例文のような状況はどちらの意味だろう。どちらもしっくり来ない。

そもそも「試験に失敗した」と言うこと自体が減ってきているように思う。「試験に落ちた」だろう。
「保育園に落ちた」
「面接に落ちた」
「抽選に落ちた」

センター試験直後の今の時期は「すべる」も禁句だが、それもあまり使わなくなってきているのではないか。昔は「すべった」とよく言っていたが、最近はもっぱら「落ちた」という。

では、どういう場合なら「失敗した」と言えるのだろうか。

「受験に失敗した」
「結婚に失敗した」
「実験に失敗した」
「商売に失敗した」
「お好み焼を裏返すのに失敗した」

いずれも何らかの試みが不成功に終わったことを述べている。その試みは人生における大きな挑戦でもありうるし、スキーのジャンプや体操の宙返りのような技術的な試みでもよいわけだ。

では、「~に失敗した」ではなく「~で失敗した」だとどうなるだろう。
「仕事で失敗して、落ち込んでいる」
「試合で大きな失敗をして、みんなに迷惑をかけた」

この場合の「失敗」は「ミス」という意味に近い。
「面接で失敗してしまうよ」の「失敗」は本人が面接のときに犯した「ミス」の意味でないと不自然になるというのはこのためかもしれない。

日本語の「失敗」の使用範囲は、中国語の《失败 shībài》とはずいぶん異なる。だが、重なる部分もかなりあるために、日中の意味の差を理解するのはなかなか難しい。辞書の反対語を示しただけの説明では不十分ではなかろうかと思う次第である。

 

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