見知らぬ人と話すこと

スーパーのレジに並んでいると前に並んでいた女性が私のカゴの中に入っていた冷凍餅入り巾着を見て、声をかけてきた。「その茶色い袋は何ですか? どうやって食べるの?」と。私は「鍋に放り込むんです」と言った。

60代後半から70代くらいの上品な感じの人だった。大きなリンゴが11個も入った箱が680円は安いと言い、リンゴをチンして食べると美味しいのだと教えてくれた。皮をむいて一口サイズに切って電子レンジでチンするのだそうだ。歩きで来ているからあまり重いものは持って帰れないとも言っていた。

ふと、一人暮らしなのかもしれないと思った。

最近、こうやって見知らぬ人に声をかけたりかけられたりすることが珍しくなった。電車の中では多くの人がスマホの画面に向かっている。今の高齢者はスマホにどっぷりという人はあまりいないだろうが、スマホ世代の人が高齢になって一人暮らしになったら、いったいどうなるのだろう。ひたすらスマホでばかり連絡を取り合うことになるのか。今日は一言も誰とも話さなかったという日が続くと高齢者でなくても心が病んできそうだと思うのは私だけだろうか。

以前、インドネシアからの学生が日本人が通勤電車の中で話さないのが不思議だと言っていた。「インドネシアでは通勤電車の中で話すの?」と尋ねると、「電車ではなく、バスや乗り合いタクシーのようなものだが、中で話す」と言う。

まだ、そのころはいまほどスマホは普及していなくて、日本では本を読んでいる人が多いねと印象を語り合った記憶がある。だが、その当時は私も若く、隣り合った人と毎朝話していたらちょっとたいへんだなと思った。

この距離感が難しい。あまり人に合わせてばかりいると疲れてしまうからだ。

だが、高齢になれば人と話すという活動は認知症を抑制する効果がありそうだ。リンゴを箱買いしていた老婦人のように、みんなもっと積極的に話せばいいのになと思った。

母は最近自分の認知症が進むのではないかとひどく恐れている。知っている人の前で変なことを口走ってしまわないか、たえず気にしている。私との電話にもあまり出て来なくなった。以前は母とばかり話していたのに、最近は父とばかり電話で話すようになった。

昔の自分を知っている人と話すと「ああ、この人も年を取ったなあ」と思われて嫌なのなら、いっそ見知らぬ人と話せばよいのである。昔の自分にとらわれず、今こそ新しい友人を作り、ありのままの自分を開示していければいいのになと思う。

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