インドリダソンのエーレンデュルシリーズの4作目、原題の Kleifarvatn クレイヴァルヴァトゥンは湖の名前。この湖の水位が下がり、白骨死体がロシア製の機器とともに見つかったところから話は始まる。
東西冷戦時代真っただ中の1960年代に東ドイツのライプツィヒにいたアイスランド人留学生たちの話が取り上げられる。まるで中国の文化大革命の頃のような怖ろしい話が展開していく。
相互監視システム、密告、拉致、情報統制…といった暗い歴史は共産主義と密接に結びついたもののように考えていたが、アイスランド留学生の一人が何年も経ったあと、それは権力の座についた者たちが既得権益を守るために考え出したことで、もともとの共産主義・社会主義の理念とは別物だと言っていたのが印象的だった。
そのとおりなのかもしれないと思いつつ、でも、なぜ数ある社会主義国がそろいもそろって政治腐敗へ進んでいったのかはやはり疑問である。
西側諸国にしても「赤狩り」が横行していたわけで、完全な自由主義というわけではないが、西側にいられて、そしてもう少し後の時代に生まれてよかったと思った。
インドリダソンは2004年時点でもう東西冷戦を過去のものとして小説に書いているが、北朝鮮や中国で社会主義の火がくすぶっている東アジアでは、まだ完全に過去のものとは言えない。この物語を読みながら、ついつい私の中国留学時代を振り返ってしまった。
1990年前後に中国に留学した際、社会主義と資本主義のちがいについていろいろと比較したものだ。真逆の価値観に驚いた部分もあったが、それでも中国と日本はやはり文化的に近いものがあるとも感じた。雪解けのころだったのが幸いしたのかもしれない。
日本人として戦争の責任を問われたことは何度もあったが、資本主義は悪だと非難されたことは一度もなかった。むしろ、彼らは自由主義経済への羨望を隠さず、一般的な日本人の給料はいくらかとしきりに尋ねてきたものだ。
さて、今回の物語は半分くらいライプツィヒが舞台だったので、人名が非常に覚えやすかった。ドイツに留学するとアイスランド名を使わず、ニックネームのようにヨーロッパ系の名前をつけるのだろうか。香港人みたいに…?
カールにトーマス、エミール…一人しか「デュル」のつく人がいなかった。いったいどういうことなのだろう。
しかし、最後のレイキャビック市内での尾行場面では鬼のようにわけのわからない地名が大量に出てきて、「いったいどうせえって言うねん」と笑いながら読んだ。
インドリダソンは話ももちろんおもしろいのだが、何よりもこの異国情緒あふれすぎの人名地名に毎度笑みがこぼれてしまうのだ。
このエーレンデュルシリーズは続編がすでに10冊も出ているらしいのに、日本語の翻訳が出ていないらしい。まさかこの先はスウェーデン語とか英語で読まないといけないのだろうか。悲しすぎる。