関東のお笑いの耐えられない真面目さ

テレビを見ない生活を始めて、かれこれ14年ほどになる。ラジオも新聞もネットもあるし、テレビを見なくなって困ることはまずないと思っていたが、世間とのズレを痛感するのは最近のお笑い芸人の顔と名前がわからないことだ。

2019年10月26日(日)の『朝日新聞』朝刊にナイツ 塙 宜之の『言い訳:関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』という本のサンキュータツオによる書評が載っていた。ナイツというお笑いコンビはもちろん名前も聞いたことがなく「誰やねん」と思いつつ、書評を読んだ。

「大阪はサッカーでいうところのブラジル」で、そのブラジルに「アウェーで異国の地の言語(標準語)」を使って挑む関東芸人はハンディがあるとサンキュータツオは述べている。「異国の地の言語」という表現が興味を惹いた。ちなみにこの書評を書いているサンキュータツオ氏も東京都杉並区出身である。

常日頃から関東人のお笑いセンスのなさにはあきれ果てることが多かっただけに何がそうさせるのか知りたかったのだが、「なぜ勝てないか」についての言及は書評になかったため、ナイツの漫才の動画をネットで探して見てみた。

そして「この塙という人はなぜここまで真面目なのか」つくづく不思議に思った。

ナイツの真骨頂はよく練られた語呂合わせや洒落のようだ。野球の話と落語『寿限無』を結び付けたネタなどは確かによくできていると唸らされた。ただ、この手の言葉遊びがうまくできていればいるほど「これ考えんのにいったい何時間かかったんやろ」と考えてしまう。鉛筆を加えながら一生懸命似たような音のことばを探している塙氏の姿がちらついてしまうのだ。

実際に書店で新書を手にとって見た。ものすごい数の人々がありとあらゆるコンビ名で「M-1グランプリ」を目指しているのに驚き、「笑い」をここまで綿密に研究していることにも感心した。でも、「ほんとにちょっと真面目過ぎませんか」と思う。

これは、漫才の母語関西弁でなくアウェーの言語標準語で漫才をすることのハンディなのだろうか。海外にいたときに「関西弁だと真面目に話していてもお笑いのように聞こえる」と言われたことがある。逆のことが標準語にも言えるのだろう。「標準語で話すと真面目に聞こえすぎる」ただ、このナイツの塙という人の場合、その度合いが半端じゃない。

昔、紳助が番組でよく「笑いの勝ち負け」の話をしていた。「誰がおもろい」とか、「だれだれも負けてへん」とか、塙氏と同じ勢いで真面目に分析していた。「お笑い芸人はただのアホとはちがう。実はものすごく計算しているのだ」と思ったものだ。どんなにバカバカしいことを言うお笑い芸人でもいろいろ考えた上での受け答えなのだ。

しかし、それを前面に匂わせるというか知識があることをひけらかしているかのようなお笑いには違和感を感じてしまう。最近の芸人は京大出身とかイケメンとか昔とは変わってきたとは聞いていたが、いよいよこういう本まで出してしまうのだね。

テレビを辞めて知らずにいることって思った以上に多いと痛感した。

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