ルドルフ・ヌレエフの半生を描いたレイフ・ファインズRalph Fiennes監督2018年『ホワイトクロウ The White Crow』…「白いカラス」という矛盾を含んだ標題に首をかしげつつ鑑賞。
冒頭に答えが用意されていた。ホワイトクロウとは「類稀なる人物/はぐれ者」なのだそうだ。なるほど。
主役はオレグ・イヴェンコというタタール国立オペラ劇場バレエ団の現役プリンシパル。『ラ・バヤデール』のソロルを踊るシーンが非常によかった。この映画ではポルーニンも含め、踊る人はすべてプロのバレエダンサー。なんて贅沢な映画。
というのは、この映画ではバレエはむしろ背景に過ぎず、ストーリーの中心はバレエではないからだ。
シベリア鉄道の車中で生まれ、ロシアの田舎の貧しい家庭で育った少年が、バレエ公演のためにパリの街に降り立つ。まばゆいばかりの西側の様子に魅了される。恩師の妻との奇妙な関係も含め、いろいろな点で追い込まれていたヌレエフがバレエを続けるためにはロシアを捨てなくてはならなかった。というのが話の流れなのだが、私には西側の生活に目がくらむのは当然だと思えた。
それまで白黒の世界でしかなかったのが、突然世界がカラーになって押し寄せてきたような感じではないだろうか。もちろん比喩的にではあるが。
私事ではあるが、1989年2~3月2か月間の中国旅行の最後に立ち寄った香港の町があまりにもまばゆく見えたのを思い出した。
実際にはロシア時代にもエルミタージュ美術館へ足繁く通ったという場面もあり、ルディ少年はすでにその才能を開花させるための素地を築いていたと言える。
この映画の中でヌレエフはほとんど笑わない。6歳という設定のはずの子役ですら笑わない。実際、1960年代の社会主義国の人たちはこうだったのだろう。
オレグ・イヴェンコはヌレエフに顔つきが似ていると主役に抜擢されたらしい。映画と関係なく、バレエダンサーとして踊っている映像を見ると、アルレッキナーダも、ドン・キホーテのバジルもにこにこと笑顔で踊っていて、とっても魅力的。こんなかわいい笑顔のダンサーをヌレエフに仕立てるのはなかなか骨が折れたことだろう。
クララ・サンとの場面では特にヌレエフのエキセントリックな面が前面に押し出される。空港で亡命を助けてもらったのに、その後連絡もよこさないヌレエフ。クララは「そういう人なんだから仕方がない」と家族に言っている。なんという心の広さだ。フランス人たちのその度量の大きさにはしばしば感服する。かなりの変わり者でもフランスでなら大きな問題なく生きていけそう。
それにしても、森に少年ルディを一人置き去りにしていなくなった父親はその後どうなったのだろう…帰ってこなかったのだろうか。
大きな収穫は亡命というのがこういう手続きを踏むのだということがわかったことだ。天安門事件後に中国からフランスに渡った人たちもこんなふうに亡命したのだろうか。ソ連時代のロシアのことはわからないので、手近な社会主義国として1990年前後の中国のことが幾度も思い出された。
ヌレエフがタタール族のイスラム教徒出身だったり、フレディ・マーキュリーと同じようにエイズで亡くなったりしたことはこの映画では扱われない。芸術至上主義に特化した作りは悪くないと思う。
きっとこれも、レイフ・ファインズのこだわりにちがいない。しかし、彼の名の原語スペルを見て、なぜRalph? なぜFiennes? とてもレイフ・ファインズとは読めず、しばらく誰のことかわからない始末…。自分の名が似ても似つかない発音で読まれるのは確かに嫌なものではある。