娘と観る『ビリーブ 未来への大逆転』

2019年4月1日に小6になった娘。なぜかこの映画をどうしても見たいと言う。映画の日で安くなるので、いっしょに見に行った。

3月初旬に予告編をいっしょに見て、これを見に行きたいと言い出したときは、なかなか渋いセレクトではないかと思った。R指定がついていないか目を皿のようにしてチラシをチェックし、いよいよ当日を迎えた。

だが、実際に映画が始まってみると、母は大後悔…。

実は、娘にとって、これは初めて字幕で見る洋画だった。字幕の漢字が読めないという心配はあまりしていなかったのだが、この映画は大人でも字幕について行くのがたいへん。税制や法律関連のことばが大量に出て来るからだ。わけがわからず退屈しているのではないかと横にいる娘の様子を伺いながら、映画を見ることになった。

例えば、課税所得控除(tax deduction)などということばは娘にわかるはずがない。一人で働きながら年老いた母を介護している非婚の男性には女性なら受けられるはずの控除が受けられない。仕事に出ている間、母の世話を頼んだ介護ヘルパーの賃金が控除されないというのだが、なぜ独身男性だともらえないのかこの法律の意味がよくわからない。一度結婚して離婚した男性なら控除が受けられるというからよけい意味がわからない。時代の変化のせいなのかなんなのか。

しかし、娘も自分から見たいと言った手前、「こんなん見るの辞めといたらよかった」とはさすがに言わなかった。彼女なりに得るものはあったようである。

娘たちの世代の女性のために闘う母の姿には涙が出た。ルース・ベーダー・ギンズバーグRuth Bader Ginsburgはものすごいパワーの持ち主だ。今後は日本でも、家族のためという名目で、過労死するまで働きづめに働く男性や家事や介護を強いられる女性たちが減って行ってほしいと強く思った。人は性別による社会的な役割分担という呪縛から解き放たれるべきだ。

この映画で気になったのは「性」を表す「sex」と「gender」ということば。趣意書をタイプした秘書が「sex」ということばが多過ぎるから「gender」にした方がよくないかと、ルース・ベーダー・ギンズバーグに言う場面があった。

「ジェンダー」ということばを初めて耳にした学生時代は耳慣れないと感じたものだが、「sex」を連発されるよりはいいし、いちいちギョッとせずに済む。一般教養の社会学の授業でだったかと思うが、生物学的な性をsex、社会での性的役割などを指してgenderと言うように習った。ちなみに言語学的な男性名詞女性名詞といった性についてもgenderを使用する。

映画を見ていて、法律問題を扱う際にここまで「sex」という語が使われるのには確かに違和感があった。この映画の原題が「On the Basis of sex(性別に基づいて)」なのも。もしかすると、このころgenderを使うようにシフトしたのか。

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