インド人のステレオタイプが気になる。日本でもそうだが、インド人といえば頭にターバンをぐるぐる巻いていると考えられている。(ネタバレあり)
ターバンを巻くのはシク教徒だけである。冒頭、アブドゥル・カリム(アリ・ファザル)がイスラム教の礼拝をしているにもかかわらず、ターバンを巻いていた。イスラム教徒のかぶる帽子はもっとシンプルで唾のない、水泳帽のような形のもののはず。アブドゥルがイギリスから帰国してインドの町を歩いているシーンではイスラムの帽子をかぶっていた。
女王の側近たちの様子は仰々しく、非常にコミカルに描かれており、マシューボーンの『白鳥の湖』の1幕を思い起こさせた。
インドからイギリスへ行って女王に拝謁するとき、真っ赤な上着を着せられ、またしても頭にぐるぐるのターバンを巻かれた二人のインド人が、イギリス人のお世話係に「なぜこの服を?」と質問するシーンがあった。すると「インドの服はインド人らしくない」というようなことを言われていた。当時のステレオタイプを笑いのネタにしているのだ。
インドほど多様性を内包した国は珍しいのに、強いステレオタイプが存在する。
女王が人払いをして、アブドゥルに「ヒンディー語を教えて」と言うのには驚いた。だが、彼はヒンドゥー教徒ではないから、ヒンディー語は話さないと言って、ウルドゥー語を教える。実際、二つの言語は文字がちがうだけで(ウルドゥー語はアラビア文字を使用)同じ種類の言語であるそうで、基礎語彙は共通のものが多いらしい。ただ、ヒンディー語にはサンスクリット語からの借用語が多いのに対して、ウルドゥー語にはペルシャ語やアラビア語からの借用語が多いらしく、専門的な話になると総合理解が難しくなるようだ。
今の時代から見ると、ヴィクトリア女王がものすごくまともで素敵なのだが、お付きの人たちは偏見に満ちた差別主義者に見える。しかし、当時の価値観からすると、女王ご乱心!以外の何物でもなかっただろう。
だが、一方でアブドゥルも非常に進歩的なインド人であったのだと思う。
アブドゥルといっしょにインドからイギリスに渡ったムハンマド。彼は一般的なインド人の考え方を体現していたと思う。英領となってしまった敗戦国インドから、敵の本拠地に行くわけだから、悲観的になるのも不思議はない。寒さにも適応できず、病に倒れる。だが、アブドゥルを裏切ることなく、女王の側近たちにイギリスへの憎しみを口にしたシーンは爽快ですらあった。
「彼は女王様に取り入って出世しようとたくらんでいるのです」という進言が何度か女王の周囲から出て来る。ジュディ・デンチ扮する女王は毎度「あなたたちも同じでしょ」という。絶妙な切り返しだ。ジュディ・デンチは80歳を超えてなお見事な演技だ。スクリーンいっぱいのアップにも耐えられる。主役が80代という映画もなかなかあるまい。
この映画を鑑賞した小さな映画館には、平日の午前中ということもあり、お年寄りの姿が目立った。人生の終盤にこういう出会いがあったヴィクトリア女王は本当に幸せ者だと思いつつ、「ハンサム」を目にして元気になるのなら、悪いことではないと思った。
「セポイの反乱」と覚えていた歴史的な事件が「インド大反乱」と言い換えられていた。インドのマドラス、ボンベイがチェンナイ、ムンバイと名を変えたことで、90年代に旅した町がどこのことかわからなくなってしまったのを思い出した。まちがった歴史観や植民地主義は是正されるべきだとは思うが、少し淋しい気持ちにもなる私もいる。
さて、アブドゥル役アリ・ファサルのデビュー作2009年のインド映画『きっと、うまくいく』(3 Idiots)を見てみないと。