中国語の聴解力の伸びを実感するとき:《痞子英雄》第19話まで

以前《痞子英雄》を見たときは、中国語の字幕を追うのに必死で、4回見ても話の伏線にまで気が回らなかった。以下ネタバレあり。

特に陰謀渦巻く国防省と政治家たちの会話は本当にわかりにくかった。字幕に出ている文の意味だけわかっても、そのセリフが物語の中で何を意味しているのか理解できないことがしばしばあった。次々と人が殺されていくのも誰が何のために殺したのか理解できないまま見ていた記憶がある。

《臥底》(潜伏スパイ)も《冒牌貨》(偽物・食わせもの)もそう言えばこのドラマで覚えた。

ところが、今回は頭の中でパズルがパチパチとはまっていく音が聞こえる気がする。字幕の文字を追うスピードも速くなったのだろうか。いや、読むスピードが速くなったというわけではなく、知っていることが増えたためにいちいち文字を追わなくても類推がきくようになったのかもしれない。事実、ストーリー自体はすでにおおまかに把握しているわけだし。

目を字幕にくぎ付けにする必要がないとすごく楽だ。画面の隅に移っている双子の殺し屋や《薩克奇》のメンバーにまで目が行く。ファーストフード店爆発事件のときも「おー、こんなところにボスが!」と楽しめる。《痞子英雄》の次は《波麗士大人》に再挑戦してみようか。藍正龍が出ていたから無理して見たが、当時は本当に訳が分からなかった。

そう言えば、台湾ドラマを見始めたばかりのころは、番組の終りがけに画面の左端に縦に流れるテロップに何が書いてあるか追うこともできなかった。実は次の番組の宣伝などをしているだけでたいしたことは書いてないのだが、話について行くだけで必死なのに、そんなもの読む余裕なんかない!と感じていた記憶がある。

政治や法廷もの、時代ものはいまだに厳しいが、それでも、自分で聴解力の伸びを実感できることほどモチベーションを上げるものはない。90年代は重くて分厚い辞書を片手に、部首引きでいくつもの漢字の読み方を調べていたが、今はなんて簡単に語学力を磨けるのだろう。楽しみながら上達できるのが何よりもすばらしい。

私にとって中国語学習は日本語を教えるときに役に立つだろうと始めたものだったが、すっかりハマってしまっている。

それでも、実際、教師は学習者の立場に立つ感覚を持つ必要があると思う。来たばかりの頃はどれくらい聞き取りがたいへんか。だんだん聞き取れるようになると理解がどう変化するか。じっくり読めばわかる文章も読むスピードを早めると理解が疎かになる…。そういったことを自分でも外国語を学習し、つかんでおかないと、一方的に学習者の努力不足だと決めつけることになりかねない。

最近は学部生として日本語でレポートを書き上げる学生たちはたいしたものだと尊敬してしまうほどだ。こういう効能もあるのかと思う今日この頃である。

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