満席の映画館で『ボヘミアン・ラプソディー』に涙

なぜか泣ける。しかもめっちゃ。

その映画館は16日が特別サービスデーで1100円だった。17:30開始の回。友達をお茶していたところと、映画館が思った以上に距離があり、本編開始直前に滑り込んだ。

外はけっこうな雨。ルミナリエ最終日とあり、それでもかなりの人出の神戸。

前日に予約しておいたのは、前でもなく後ろでもなく、右でも左でもない、ちょうど真ん中の席。本編開始前の映画泥棒禁止CMが終わると場内はしばらく真っ暗に。おそるおそる階段をのぼって行きつつ、このまま本編始まったら階段に座って見なあかんかも…という考えが頭をよぎる。

本編開始前のオープニングで少し明るくなった場内を見てびっくり。ぎっしりの満席! ど真ん中の私の席しか空いていない。こんな映画館今まで見たことない。

「すみません。すみません。」と言いながら通してもらい、自分の席にたどり着いた大迷惑な私だった。

下調べしていったおかげで歌詞の内容が響いたのかと思っていたら、どうもちがうらしい。映画評論家伊藤弘了の分析によると、我々は映画的な仕掛けに泣かされているようだ。

いろんな意味で「家族」の元へ戻って行ったフレディが「ボヘミアン・ラプソディ」を歌う、そこを映画はたくみに演出している。そして、描かれずとも、すべての人の知る結末がある。

しかし、Queen の音楽の力が偉大なことに変わりはない。今日は一日 Queen を聞きまくっている。残念ながらYoutubeでだ。昔のCDがあるかと思い、探したが見つからなかった。もしかするとCDなど買っていなかったのかもしれない。それでも、聞き覚えのある曲がこんなにある。

1975年の初来日や1985年7月13日のライブエイドのとき、わたしはクイーンのニュースを聞いていただろうか。何をしていただろう。そんなことに思いを馳せながら曲を聞いた。もしかすると当時リアルタイムで触れていたかもしれない Queen の姿を思い出そうと。1991年11月24日の訃報をどう聞いたかを。

すると、あの頃の性的少数者、HIVウイルス、エイズという病が持っていた悲壮な空気感が、私の中で積もっていたほこりが舞い上がるようによみがえった。あの時代を経て2018年の現在があり、この映画のヒットがある…。

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