女性が年齢を重ねるということ:外見か中身か

テレビを見ない生活になって15年ほど経つ。映像の美しさを誇る最近のテレビ画面に往年の有名人たちが出ているのを見かけると、あまりの老け方に愕然とすることがある。ぼんやりとした昔のテレビの画像で若いころの様子を見ていたのだから、当然のことである。

ネットで女性タレントの名前を検索にかけると、よく検索されるキーワードリストに「劣化」と出ることがある。この「劣化」という言い方、どうも気に食わない。人をものみたいに…。芸能人だって人間なのだから、年を取るのは当然だ。いつまでも以前の姿のままであるほうが異常だ。

《血観音》ですばらしい演技を見せた香港の女優、惠英紅カラ・ワイは30歳頃から40歳にかけてスランプに陥り、鬱症状に陥ったという。容色に衰えが目立ってくるとそれまでほどいい役が来なくなる。美貌を売りにしていた人ほど、年齢を重ねることのダメージが大きい。だが、老いは多少早い遅いはあるにしろ、誰にでも平等に訪れるもので女優が生き残れるかどうかは最終的には容姿ではないと思う。人としての厚みが出せるかではないかと思う。

若いうちは若いというだけで認められてしまう部分があるが、娘からおばさん、おばあさんへと向かううちに光ってくる人と光を失っていく人がいる。

謝盈萱が│金馬55│ 謝盈萱 ■ 這一夜,我們聊「美感」というインタビューで、女優の老いを否定的に捉える社会の在り方自体を変えるべきではないかと述べている。知的で、自信を持ち、その人がその人らしくいることを美の基準と考えていると述べた。

素敵な考え方だと思う。中身が充実していればこそ、外見も光るという考え方であろう。

しかしこれは芸能人のレベルの話で、我々一般人の場合は何もしないよりも、外見にある程度気を遣うことで、中身が伴ってくるということもある。

2018年11月10日朝日新聞「好書好日」というコラムに内館牧子が品格ある老い方について書いていた。78歳になっても素敵な装いを心掛けている漫画の主人公にこんなセリフを言わせたという。

『ナチュラルが好き』という女どもは、何もしないことを『ナチュラル』と言い、『あるがまま』と言っている

「何もしない」のは危ない。何もしないと《黄臉婆 huángliǎnpó》(黄色い顔の嫁)になる。結婚して長い年月が経つと家事育児に疲れ、顔が黄色く変色してくる。そういうおばさんを指して言う中国語だ。休みの日など一日化粧せずにうちにいるとふと鏡に映った自分の顔を見て「うわっ、まさにこれが《黄臉婆》!」と思うことがある。

世の妻、世の母たちよ。おしゃれして街に出よう。最近のママたちは本当におしゃれになったと思うが、もしうちにこもりがちになっているなら、もし外見に気をつかう暇がないと思っているなら、是非とも一度おしゃれして出かけてみよう…と自分にも言い聞かせてみる今日この頃である。

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