台湾現代史の知識不足と中国語力のなさを痛感する《血觀音》

11月2日に台北の誠品書店で買った《血觀音》のDVDをついに見た。まずの感想は…難しい!

1回見ただけでは理解できない。何がわからないのかと言うと、人間関係とその利害関係がわからない。《炒地皮》不動産を転がして儲けようとしていることはわかるのだが、どういう裏取引が行われているのか今一つわからなかった。農會理事長の林さん一家がなぜ惨殺されなければならなかったのかも…。日本語字幕で一度見たいと思うが、この映画を日本で一般向けに公開するのは難しいだろう。自分で何度も見て解読するしかあるまい。

棠夫人(惠英紅)は確かに迫力の美人だが、その娘役、棠寧(吳可熙)はなんとも幸の薄そうな顔つきだ。普通娘は多少なりとも母に似るものではないだろうか。なぜここまで貧相で落ちぶれた感じになるのか不思議に思いながら見た。棠真(文淇)は棠夫人に近い落ち着きと気品がある。最後はなぜそんな分別のないことを…と思う行動に出るが、秘めた思いが強かったということだろうか。

美しい彼岸花の刺繍をつけた紺のワンピースを纏った3人だが、内側には怖ろしい闇を抱えている。棠寧が描く目のギョロンとした棠家の3人の女の絵が、まるでアニメ『妖怪人間』のベム・ベラ・ベロのようで、この映画の不気味さを表している。

2000年の『花より団子』の台湾版ドラマ《流星花園》でつくし(杉菜)の母親役をしていた王月という女優が出ていたのがちょっとうれしかった。《流星花園》ではいいテンポで楽しい母親役をしていたのだが、どうも劇団の仕事がメインの役者らしく、ドラマではとんとお目にかからなかった。《血觀音》では、あの楽しいノリはないが、重要な役どころではある。

北京語、広東語、台湾語、日本語とさまざまな言語が飛び交うこの映画には原住民もかなり虐げられた存在として登場する。主なシーンは1990年代という設定らしいが、入れ墨の彫られたたくましい肉体を持つ原住民の男たちが性的な奴隷とされている。現在ではちょっと考えられないような理不尽な扱いに驚いた。

《血觀音》の監督、楊雅喆ヤンヤージェは社会に対する強いメッセージを持っている。戒厳令下の台湾で彼が18歳までに学んだことはまったくのペテンだと《我是救星1223 楊雅喆專訪 電影『血觀音』再創高峰》の中で述べている。その意味が私にはまだよくわからない。《血觀音》は90年代にあったいくつかの事件を下敷きに作られているらしい。そういう歴史を知っているとより理解が深まるのだろうが、今のところは、「あなたのためなのよ」と言いつつ、自分のことしか考えない、非情な人間世界の恐ろしさに震えるのみである。

ひたすら勉強がまだまだ足りないことを痛感する映画であった。

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