シュツットガルトバレエ ジョン・クランコ版『白鳥の湖』

2018年11月17日(土)は待ちに待ったシュツットガルトバレエの『白鳥の湖』。かなり左の方ではあるが、4列目といつもになくいい席がとれた。

行くとオーケストラピットから楽器が突き出しているのが見える。生の楽器の音を間近で聞きながら、バレエを見るなんて、ああ贅沢。

シュツットガルトバレエ2018パンフレット表紙

娘の通っているバレエ教室の先輩がコールドバレエで出演されると聞き、目を凝らす。だが、目の悪い私には判別不能。そのお嬢さんは手足がとても長く、背も高かったので、発表会で踊る姿はひときわ目立っていたのだが、このコールドバレエの中では見分けがつかない。ということは、周りも彼女とほぼ同じ体つきだということだ。さすが。

大きく目を引いたのはクランコ版の演出である。発表会や英国ロイヤルで見慣れたプティパ=イワノフ版と比べるとずいぶん出入りがあった。実は私にとっての初めての『白鳥の湖』はマリ=クロード・ピエトラガラが踊ったパリオペラ座のブルメイステル版なのだが、それと同じくらい違う。

1幕からしてずいぶん様子がちがう。例えば、道化がいない。その代わりに酒飲みの親父がいる。パドトロワがない。いつも3幕で聞き慣れているオディールのVr.の曲を1幕で村の娘が踊ってしまう。3幕いったいどうするのかと思っていたら、王子は聞き覚えのある別の曲を踊り、プティパ=イワノフ版で王子が踊っていた曲でオディールが踊った。

舞台美術もすばらしかった。特に3幕は2階建てのセットで、しっかりした長い階段がついていた。その大がかりなセットにきっとなにかしかけがあるのだろう。ロットバルトがマントを翻すと、オディールが突然現れたり消えたりするのである。ロットバルトが禿頭なのもちょっとした驚きだ。

アリシア・アマトリアンとフリーデマン・フォーゲルは正統派と呼べる容姿の持ち主でオデット/オディールと王子にぴったりだ。ただ、今回の公演はハプニングがいくつかあり、演出のちがいに気をとられ過ぎていたこともあり、あまり深く感情移入できないまま、終わってしまった。

生オーケストラ、とてもよかった。いつもなら花を摘む少女オデットがロットバルトの魔力で白鳥の姿に変えられる序奏の場面が、今回は演奏のみだった。脳裏にその場面が浮かぶが、純粋に音楽として楽しむのもよかった。すぐそこで今この瞬間に演奏されているということがとてもありがたい貴重なことに思えた。チャイコフスキーは本当に偉大だと感じながらも、聞き慣れた音楽のテンポや表情がちがうところを楽しむことができた。

それにしても、ジョン・クランコ版は最後の王子の悲劇的な死が無情だ。白鳥たちはロットバルトの支配から逃れられないまま何も変わらない毎日を過ごし続ける…なんて。二人で昇天する方がまだ救いがある気がした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です