目覚まし時計売り場に中国人がいない理由/ヨドバシカメラの店員のバイリンガルぶりに脱帽

ヨドバシカメラへ腕時計を買いに行った。腕時計売り場に限ったことではないが、ヨドバシカメラではあちこちから中国語が聞こえて来る。平日の夕方だったので、比較的売り場はすいていたが、私以外の客はみんな中国人なのではないかと思われるほど、中国語ばかりが聞こえてきた。

ケースから腕時計を出してくれたのは中国人の店員だったが、そのあとの接客は日本人店員と交代した。人手に余裕があれば、日本人には日本人店員が応対し、中国人には中国人店員が応対するようだ。

清算を待つ間、ほかの客が接客されているのを観察してみた。するとネームプレートに日本の姓が書かれているけど、非常に流暢な中国語で応対している店員がいた。すごいなぁと中国語をよく聞いてみる。なまりがない。

清算係がなかなか現れなかったため、接客係のその店員が叫んだ。「セイコーのカウンターでお客様がお二人清算をお待ちでーす。」日本語も全くなまりがない。

世の中には両方の言語をなまりなく話すバイリンガルが実はけっこういるのである。国際結婚カップルの子とか、幼い頃に移住してきたとか、様々な理由でそういう能力を備える人が現れる。ただ、彼らだって自然ななりゆきだけでバイリンガルになったわけではない。彼らなりにたゆまぬ努力を続けて来た結果である。

しかし、どうも彼らにとって、両方の言語ができることは自慢でもなんでもなく、当たり前のことになっているようだ。私たちがすごいなあ、いいなあとあこがれるほど、彼らは自分たちのことをすごいとは思っていなくて、むしろモノリンガルのネイティブスピーカーと比べて「本を読むのが遅い」とか「レポートはうまく書けない」などと自分の語学力に不安を持っていたりするのである。

いや、もう二つできることが本当にすごいんだから、モノリンガルと比べるのはやめてよいと思う。理想が高くもつのは悪いことではないが…。

さて、腕時計売り場は中国人客の比率がすごく高いのだが、目覚まし時計や柱時計のコーナーは閑散としている。なぜかご存じだろうか。

中国語で目覚まし時計や柱時計のことは《钟/鐘 zhōng》という。これは《終》という漢字と同じ発音である。「時計を贈る」は中国語で《送钟 sòngzhōng》というが、これは《送终 sòngzhōng》「(両親や親族の年長者の)最期をみとる」「死に水をとる」という意味のことばと同じ発音なのである。中国語圏では「目覚まし時計や柱時計を贈る」行為は縁起の悪い行為とされている。

目覚まし時計 闹钟 うるさいclock
柱時計    挂钟 壁にかけるclock
腕時計    手表 手につけるwatch

中国語も英語と同じように置いたり掛けたりする時計と腕時計を別の語で表す。というようなわけで、腕時計売り場は中国人でごった返すが、目覚ましや柱時計を日本土産に買う中国人はいないのである。

香港で息子にかわいい目覚ましをと思って探したが、売り場自体が全く見つけられなかった。日本では結婚祝いにも誕生日祝いにも目覚ましや柱時計を贈ってはばかることがないのに…。一衣帯水と言いながら文化的な隔たりは小さくないぞと思う。

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