貧乏な/貧しい:主観的か客観的か

『子どもの貧困』について議論をしていると、留学生たちはよく「貧乏」ということばを使う。

例1「貧乏な家に生まれるとお金がないから、いい学校に行けない」

私自身だんだんこの「貧乏」に慣れてきていて、感覚が麻痺してきつつあるのだが、レポートや論文を書くとき、また改まった議論の場では「貧しい」と言ってほしい。

例1’「貧しい家庭に生まれると、経済的に余裕がないため、レベルの高い学校に進学することが難しくなる」

何やら「貧乏」には封建時代の遺物のようなひどく惨めなイメージが焼き付いていて、現代の「貧困問題」を論じる際に用いるには主観的に過ぎる語だと感じる。

同様の内容を表現するのに、日常会話とレポートや論文では使用語彙が異なることがわかる。

「貧乏」のようにレポートや論文、改まった場での議論などに使いにくいことばには、辞書にそういう記述を載せておいてほしいと思うのだが、なかなかそういう点まで辞書は記述してくれない。

一般的には和語が口語的で漢語が文章語的だと考えられている。
例2 だんだん(口語的) 次第に・徐々に(文章語的)
例3 今(口語的) 現在(文章語的)

だが、その逆もある。
例4 全然(口語的) まったく(文章語的)
例5 全部(口語的) すべて(文章語的)
例6 絶対(口語的) 必ず(文章語的)

非母語話者はどちらが口語的かというようなこともいちいち覚えて行かなくてはならない。

他にも敬った言い方と見下げた言い方がある。
例7 あの方・あの人・あいつ
「あいつ」は親しみを込めた言い方でもある。

悪人の場合は「男の人・女の人」ではなく「男・女」と裸になる。
例8 あの男の人が助けてくれました。
例9 あの男が犯人です。

非母語話者にはこういう感覚はなかなかつかめないことを私自身が実感した経験がある。

「あなたもそういうタイプの人なの?」というつもりで、中国語で「你也是这种人吗?」と尋ねたら、相手が「我不是这种人!(おれはそういうヤツじゃない)」と怒り出して驚いたことがあった。

「这种人」は貶すときに使う言い方だったらしい…。

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