京都のお寺にも変化の波が押し寄せる日が…

2018年8月19日(日)東京から甲子園観戦に来た友人につきあい、京都観光に出かけた。この日はなぜかとても涼しく、それでいて空は気持ちよく晴れていて、お寺巡りには絶好の日和だった。

今思い出しても不思議でならないのだが、この日は突然秋が来たような気温で、空の雲まで秋空に浮かぶようなうろこ雲だった。もう早くも秋が来たのかと思っていたが、その何日か後には、また夏日に戻り、もくもくとした入道雲が出、35度を超える猛暑日が続いた。

その二、三日前から朝晩涼しい日が続いていたせいか、仁和寺では楓の木の上の方の葉がうっすらと色を変えていた。それとも、それまでの連日の猛暑で日に焼けてしまったのかもしれない。(参考:紅葉のメカニズム

仁和寺には観光客がほとんどいなかった。広い境内に観光客はちらほらで、どこのお庭もゆっくりたっぷり観ることができた。あちこちに入念に手入れされたと

仁和寺の庭

見られる立派な松があった。どれも枝ぶりが見事で、横へ横へ伸びているものもある。支えの上に枝が載っているとはいえ、まるで芝生のように地面に近いところを枝が這っているものもある。

御室の桜が有名だが、夏の仁和寺もなかなかおつなものだと思った。

一方、昼食後の訪れた龍安寺。仁和寺とは打って変わって、観光客がひしめき合っていた。石庭のまわりにはまるで込んだ銭湯のように人がうじゃうじゃいて、とても瞑想したり、沈思黙考したりできる状況ではなかった。

この二つの寺の観光客の数の差は、寺の知名度の差なのか、それとも訪問時間帯の差なのか、よくわからない。いずれにせよ、観光客が増えるのはありがたいことではあるが、寺が収容できるキャパシティーを超える場合は何らかの対策を講じる必要があると感じた。

ディズニーランドやUSJのように「あと〇時間待ち」などとスマホアプリを駆使して、示すべきなのかも。

デービッド・アトキンソンが『新・観光立国論』で指摘しているように、今後ますます増える観光客を満足させるためには、文化財の修復等に投資していく必要がある。以前のことを思えば、そういう点で京都のお寺も進んできているとは思うが、なにせ動きが遅い。その動きの遅さが伝統を今に伝えている理由でもある。一歩一歩でもいいから、新しい動きを取り入れられればと思う。

これは、観光業界だけの話ではない。日本語教育でも、語学学習でも、子育てにだって、新しい動きを取り入れる必要性が高まっている。前向きにポジティブに考えて行きたい。

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