主人公の鄭花甲が将来の職業として《童乩》タンキーになるかどうか迷っている。この《童乩》という職業、台湾では一般的かもしれないが、日本で知る人はそう多くないだろう。
《童乩》は中国語のピンイン表記では /tóngjī/となるが、台湾語では「タンキー」と発音する。ドラマの中では字幕は《童乩》と出ているが、音声では漢字が逆になった《乩童》kitongキートンという語が聞こえて来る。
《花甲男孩轉大人》では、キートンと言い、檳榔(びんろう)屋と言い、非常に台湾的《很台》なものにこだわっていると思う。これは外国人にとってなかなか高いハードルだ。この二つの予備知識があっただけでも、私はまだすんなりドラマに入って行けた方だと思う。
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1994、5年の年末年始に台湾を1週間旅した。それが高雄だったかも今では定かでないのだが、偶然通りかかった宮廟で《乩童》がトランス状態に入っているところを目撃した。その当時のガイドブックにその手の情報があったのかなかったのか、全く予備知識のなかった私は何事かと多いに驚いた記憶がある。
宮廟の敷地内に、人だかりがしていて、けっこうな見物人がいたので、誰かにこれはいったい何かと紙を差し出し、漢字を書いてもらった。
伝統的な楽器が大音響で演奏される中、さほど若くないがっちりした体格の男の人が、上半身裸で何やらぶつぶつつぶやきながら、頭を振ったり舞のようなものを舞い始め、細い針金のようなものを頬に指し、反対側の頬まで貫通させる。
ペラペラのしなる薄い剣のようなもので自分の胸や背中を打ち付け、あちこちから血を流し始める。自分で自分の体を痛めつけているのだが、本人は全く痛がる様子もなく、ただ、ひたすら自身を傷つけ続けるのだ。どれぐらい続いただろうか。最後は建物の中に入って行って見えなくなった。
《乩童》は神の使いらしい。神が憑いている間は記憶も、痛みもないとか。《乩童》が神の声としていったい何を人々に伝えようとしていたのか、私には全く理解できなかったが、こういう儀式が一年に一回とかではなく、かなり頻繁にあちこちで行われているという。
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これが世襲の職業だということらしい。ドラマの中でおじいさんの姿があちこちで見えてしまう主人公花甲は、一般人にはない霊的な力を持った後継者なのだ。
三浪して大学六年生をやっているとはいえ、花甲は台北の大学生である。大学生が職業選択の選択肢として家業を継ぐように《乩童》になる…。神に選ばれし者だとしても、私からするとかなり不思議である。ダライラマや皇室ではあるまいに。
《通靈少女》でも《巫婆》が女子高生だったことを考えると、台湾では起こりうる話なのだろう。もちろんドラマとしてウケを狙っていることは当然としても。
だが、インチキも多いだろうということも伝わってくる。それでも、こういう職業が現在でも成り立ちうる台湾のおおらかさや信心深さに感心する今日この頃である。