温又柔の『台湾生まれ日本語育ち』では、台湾人である自身の母親が話す日本語・北京語・台湾語がちゃんぽんになったことばを「ママ語」と言っている。
子どもの頃はお母さんの日本語には変なところがいっぱいあって恥ずかしいと思っていたらしい。成人した今では、そういう日本語も含め、北京語に台湾語が混じるママ語を愛しくてたまらない、母親独自の言語と捉えている点に共感した。
多かれ少なかれ、どこの家にでも「ママ語」はあると思う。「ママ語」が温家独自のものを指すと考えるなら、「家庭内方言」とでも言い換えるべきだろうか。
保育園や幼稚園に行き始める前の子どもは完全に家庭内方言の世界にいるが、小学校に上がる頃からその影響が薄れていく。その後、人は親のことばづかいの影響から徐々に自由になっていき、地域から、読書から、メディアから自身のことばを創り上げていくのだろう。
そして、「家庭内方言」の上に様々な言語の層を立派に築いた人ほど、母語や家庭内方言をなつかしく、いとおしく感じるのかもしれない。
だが、成長過程にある子どもたちはなかなかその境地にたどり着けない。
実は日本の子どもにだって、家庭内方言と地域方言とが異なる場合は多々ある。移動する子どもは必ずしも海外から来るとは限らない。
中学校に上がったとき、うちに電話をかける同級生がとても小さい声で話していて、不思議に思ったことがある。よ~く耳をすますとその子は標準語(関西では俗に「東京弁」と呼ばれる)で電話をかけていたのである。私たちとは完璧な関西弁を話していたのに、なんとうちではえらく上品なことばづかいで、人が変わったように感じたのを記憶している。
そして、彼女自身は、家庭内でのみ使用する「東京弁」を強く恥じており、関西で育った友人たちに絶対聞かせるわけにはいかないと強く思っていたのである。
確かに当時、関西の子どもたちの間では「アンチ東京弁」の風潮が強く、東京方言を聞くと、「何ええかっこしてんねん(何をいい格好しているのか)」と感じることが多かったと思う。私もその一人だった。
そして、心無いひとことを言ってしまうのである。
私の今の望みは一人でも多くの子どもたちが温又柔の「ママ語」に対する眼差しに触れ、「家庭内方言」や「母語」に誇りをもってくれればということである。
異文化交流でも道徳で国語でもいいので、温又柔のエッセイを授業で扱ってみてはどうかと思う。思春期の子どもたちは逆に反発するのかもしれないが。