小さな劇場で生の芝居を見るのは初めての経験である。観客は50人ちょっと? ぐらい。2列目だったが、役者さんたちの息遣いが聞こえるほどの距離だった。
思った以上に大きな声。滑舌のよい標準語。舞台では役者ってこういうふうに演じるんか~、というところから新鮮。ものすごいテンションで非日常的なセリフ(関西弁でないものがすべて非日常というわけではないのだが)を言いだすから最初は面食うが、だれも照れたりはにかんだりせず、堂々と生き生きとしているから、しばらくするとその芝居の世界に慣れてくる。
小さい劇場でも…というか小さい劇場だからこそ、みんなが全力投球しているのかもしれない。客との距離が本当に近いから、考えていることが、気持ちが、すぐに伝わってしまう。
コメディー部分はしっかり笑えて、しんみりするところは泣ける。生半可な気持ちだと観客はついていかないと思うが、自然と感情移入できた。
偽の霊媒師が霊が憑いたふりして話す場面と、本物の霊が憑いて話す場面を演じ分けるなんて、相当の力量が必要だろう。大学生の女の子が演じていた役だって、愛犬が死んで本気で悲しんでいることがよく伝わってきた。さすがプロだ。
芝居とか演劇とはちがう畑を私は歩んできたけれど、こういう世界に興味がなかったわけではない。一歩ちがったら役者になりたいと言ってがんばっていたかもしれない。だが、そういう軌道の切替が私には起こらなかった。
そういえば、以前中島みゆきの「夜会」を観に行ったらやたら「転轍機(てんてつき)」が出てきたっけ。今の私がこういう人間になっていること、今日の芝居を思いの限りを尽くして演じていた彼らと、なんと大きく隔たってしまっていることか。
私は教師という仕事をかなりの年数してきたことで、相当分別臭くなっているのではないかと危惧している。私は教師として変なプライドを持つのではなく、人生を楽しむ方法を伝える人でありたいと思うのである。
捨て身で人を笑わせたり、泣かせたりするパワー。今日はなかなかいい経験をさせてもらったと思った。まだまだ精進できるということである。