「傑作」と「ケッサク」

日本語作文の授業の終わりがけのことである。一人の韓国の男子学生がたった今書き上げた作文を提出に来て、こう言った。

「なかなか名作だと思います」

ほがらかな学生がにこにこしながら言ったことなので、「一生懸命書いていい作文ができました」というメッセージだと受け取った。だが、やはり少しひっかかり、心の中でこう思った。

「いや、そこは『傑作』というべきだな」

「名作」と呼ぶためには複数の人の評価がないといけないし、ある程度時間が経って評価が出そろう必要がある。多少主観的な意見が許容されるためには「傑作」だなと。

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しかし、「傑作」には「傑出した作品」という以外にもう一つの別の使い方がある。

私には、このもう一つの「傑作」にまつわる強烈な母の記憶がある。

まだ「ケッサク」を「傑作」と書くと知る以前、母がよく「ケッサク」という言葉を使うのを聞いた。そのとき母はいつも決まって、可笑しくてたまらないというように顔をくしゃくしゃにして笑うのである。

「ケッサクやろ」「ケッサクやと思わへん?」

目と目の間にしわを寄せ、大笑いする母の顔と強力に結びつく「ケッサク」。私は子ども心に、おかしくてたまらないことは「ケッサク」なのだと思っていた。

その「ケッサク」が「傑作」という漢字となかなか結び付かず、ずっと不思議だった。そこで、今日初めて辞書で調べてみた。すると、こう書いてあるではないか。

大修館書店『明鏡』国語辞典の「傑作」の意味の二つ目:

【形動】(俗)奇妙でおもしろいこと。

なんと! 母が使っていたのはこれだ。

だが、私はこの意味で「ケッサク」を使うことがない。どうも母方の祖母や叔母たちが話すときによく出てきたという印象がある。この意味での使用はどうも時代的に限定されているように思う。1960~1970年代であろうか。母くらいの世代の人は今でももちろん言うのかもしれないが。

「ケッサク」を漢字で「傑作」と書くと知ったときは、ちょっとした失望を感じた。な~んだ。「とっても良くできた笑い話だ」という意味なのか、と。あの、母のおかしくてたまらなさそうな様子とは引き合わない感じがした。

子どもが文字の世界に入る前に音だけで知ることばは、その意味理解にこうした風景が強く結びついている。私が漠然と抱いていた「ケッサク」の意味が辞書にきちんと載っていてちょっと感激した。

一方、OKWAVE「名作と傑作ってどっちが上?」では、以下のような発言があり、興味深い。ここで話題になっているのは映画だが。

「あれは、傑作だったね」と言う時には、逆に「駄目、失敗」という意味にも使いますね。
あくまでも私個人の意見です。失礼しました。

ただの皮肉なのか、母の使う「ケッサク」なのか、はっきりとはわからないが、こういう解釈をする人もいるわけである。

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