2,3年前だと思っているが、もう5年ぐらい経っているのかもしれない。
紅葉の季節の阪急電車の中吊り広告に
「あらしません」
と中央に縦書きしたものが現れたことがある。背景は紅葉の写真だったかと思うが、細かいところは忘れてしまった。
平仮名で書かれていると、ちらっと見たとき
「あらしやません」
と書いてあるのだと勘違いした。紅葉と言えば嵐山。「嵐山線」に乗って紅葉を見に行きましょうという意図だと先読みしたのだ。
でも、何かが足りない。仕方なく一文字一文字読むことにする。
「? あらしません?」
突然、上品で丁寧な京都弁が頭の中でこだました。
着物を着た美しい女性がはにかんだように笑いながら、
「そんなことあらしません」
と言っている。
対する質問は「さぞモテるんだろう?」とかなんとか。
少し薹(とう)の立ちかけたお嬢さんをおじさんたちがからかっている。
昭和の遺物のような京都弁…
なんと秀逸な。
文字はたった一文字、「や」が足りないだけ。でも、広告制作者の目論見どおり「あらしやません(嵐山線)」を想起させる。なおかつ京都らしさを前面に出す上品でありながら文化財的な方言。現在では京都の娘さんも「ありません」と言うのが普通だろう。
実のところ、正式な方言形は「あらしまへん」だ。だが、それでは、「嵐山線」との絡みがなくなってしまう。しかも、「あらしまへん」では、急に話し手の年齢層が上がってしまう。話し手としておっちゃんやおばあちゃんが浮かんできてしまう。京都かどうかも怪しくなってくる。年配であれば大阪の人でもいいわけだ。大阪だと「あれしまへん」かもだが。
標準語では動詞「ある」の否定形は「ない」で、「ある」とは完全に異なった特別な形式だ。だが、京都方言では「食べへん」「飲まへん」と同じように学校文法でいうところの未然形に「ない」の方言形式「へん」が接続し、「あらへん」となる。
親しい人同士で使うのが方言だから、多くの方言には丁寧体がないが、関西方言には丁寧体がある。都があったことがその理由で、昔から上下関係を明らかにする必要があったということだろう。いまだに京都人を揶揄する冗談に、「天皇さんはちょっと東京に貸してあるだけや」というのがあるほどだ。
最近はそれでも関西方言で丁寧体や敬語を使う人は減ってきた。観光客向けになりつつある。
そんな中で現れたマニアックな広告「あらしません」…
関西の私鉄に乗っている、普段から関西方言を話している人たちが見て、新鮮な感じがし、京都へ思いを馳せることができる…
うーん。うなるしかない。