あなたどこ行く、私どこ行く。:世にも奇妙な中国語の文法

こういうことを言い出す中国語母語の日本語学習者に出会ったことはないだろうか。

これは中国語のある構文をそのまま日本語に逐語訳しているのである。

你去哪里,我就去哪里。
逐語訳:あなたどこ行く、私どこ行く。
意訳:君が行くところに僕もついて行くよ。

ちょっと甘いセリフ。男性が女性に言っても、女性が男性に言ってもいい。

この構文を習ったときの衝撃は今でも忘れられない。最も中国語がおもしろいと思った瞬間でもある。

それまで何か当然だと思っていた常識のようなものが覆されると、私は楽しくなってくるのである。

他要什么,就买什么。
逐語訳:彼は何が欲しい、何を買う。
意訳:彼は欲しいものがあるとすぐ買う。

彼はマイケル・ジャクソンみたいな大金持ちか、衝動買いをよくする人。

日本語では名詞修飾を使う。英語だと関係代名詞を使う。…なのに、疑問詞を重ねるという中国語のこの発想!

でも、中国語を母語として育ったら、これが当たり前で過ごしてきているのだから、なぜこれが日本語で通じないかがわからないだろうと思う。

外国語学習の動機にはいろいろある。いろいろあっていいと思う。仕事の役に立つ。留学したい。旅行したい。でも、たとえ AI が完璧な機械翻訳をするようになったとしても、人は外国語学習をやめないと思う。だって、外国語を学習することによって様々ものの捉え方に気付けるから。それは自分の間口を広げてくれることになる。

複数の言語がわかるようになると、私という人も変わってくる。中国語の発想が少しわかる私。フランス語の発想が少しわかる私。

中国語の発想で日本語を見ると、こんなことを思う。

なぜいちいち丁寧体や敬語、女性男性を意識して言葉を変えなくてはいけないのか。

台湾ドラマを中国語で見たあと、日本語の字幕を見たり吹き替えを聞いたりすると、丁寧語や敬語が重く感じられることがある。情報量が多すぎるというか。上下関係をあまり意識しなくていい中国語の社会はそれはそれで楽だろうなと思うのである。

少し次元が異なるが、京都から大阪へ来たとき、相手が何を考えているか推し量らなくてもいいのはなんて楽なんだと思ったのと似ている。京都での腹の探り合いが私には面倒だったのだ。

多様性を認め合えるというのは、実に素晴らしいことだと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です