大阪で初めて教えた日本語学校は環状線の沿線にあった。私は当時京都に住んでいて、毎日電車で通った。その学校はほとんどの学生が中国東北地方から来た朝鮮族で、中国語と朝鮮語のバイリンガルだった。漢字も読めるし、助詞にも強い。日本語をマスターするのがすごく速かった。
1998年の日本語学校では、日本語の勉強はそこそこにして、アルバイトに明け暮れている学生がかなりいた。その学校にはアルバイトの都合で午後の授業を受けたいから、実際のレベルは中上級なのに初中級の授業に出ているという学生が一人いた。そのクラスは来日後半年以内の学生ばかりだったが、彼だけはすでに来日後一年が過ぎようとしていた。
6月のある雨の日、何かの流れで私は学生たちにこんな質問をした。
「雨が大好きで、嫌なことがあるとうちの中に入る生き物を何という?」
初中級の学生たちは答えがわかっても、日本語でその言葉を知らない。中上級レベルの先輩なら知っているにちがいない。ざわめきのあと、みんなの視線が自然と先輩に注がれた。
彼は期待に応えようと立ち上がった。でも、なかなか言葉が出てこない。
「……た、たまつくり!」
みんながどっと笑った。「玉造(たまつくり)」は大阪環状線の沿線にある駅の名前で、みんなよく知っているのである。
かたつむり katatsumuri
たまつくり tamatsukuri
私はよくこんな似たことばがあるものだとその言い間違いに感心した。
どちらも5拍。真ん中がツ。最後がリ。母音がすべて同じで子音/k・t・m/が入れ替わっている。かなレベルではなく、ローマ字レベルでのアナグラムになっている。
その中上級レベルの学生は毎日「玉造」でアルバイトしていると言う。
…「カタツムリ」も勉強しましたが、「たまつくり」の方がよく使いますから…
「玉造」駅ではいまだに降りたことがないが、この駅を通るたびにみんなで大笑いしたあの場面がよみがえる。