私が今からこのお寺を案内してあげます

1990年代に中国の現地ガイドが言うのを聞いたと記憶している。ガイドはそれを仕事にして、お金をもらっているにもかかわらず、「~てあげます」とはどういうこと? 日本語母語話者には恩着せがましく感じられ、違和感が強い。

後年になって会話のクラスでもよくこの表現を耳にするようになった。使えないと学習者に伝えると、
あわてて「あげます」を「差し上げます」に直す人がいる。謙譲語を使わなくてはと考えるらしい。

「私が今からこのお寺を案内して差し上げます」

謙譲語を使っても同じことである。

日本語母語話者が期待するのは、
「今からこのお寺をご案内いたします」

1990年スリーエーネットワーク出版の『新日本語の基礎Ⅰ』24課には次のような練習があった。
練習B-4(p.200)
例:傘を 貸します …… 傘を 貸して あげましょうか。
1)荷物を 持ちます ……
2)仕事を 手伝います ……
3)地図を 書きます ……
4)タクシーを 呼びます ……

1998年出版『みんなの日本語初級Ⅰ』(第一版)では「~てあげましょうか」はどこにも導入されていない。その代わりに24課会話で以下の表現が使われるようになった。
「手伝いに 行きましょうか」
「わたしが お弁当を 持って 行きましょうか」

そして、2012年出版『みんなの日本語初級Ⅰ 第二版』では、会話はほぼ同様の形で残され、第一版で練習A-3、B-2にあった「~てあげました」を作る変換練習がそれぞれ一番最後の練習A-5、B-7へ回された。つまり、「~てもらう」「~てくれる」を優先した形になったわけである。

個人的にこの『新基礎』24課練習B-4「~てあげましょうか」は大失敗だったと思う。(ただし、『新基礎』は当時の日本語教材としては非常によくできた画期的な教材だったことを言い添えておきたい)

この「~てあげる」は中国語母語の学習者には異常に定着してしまうのである。
“下次我给你看那本书” (今度その本見せてあげる)
おそらくこの文型は中国語からの直訳でぴったり来るのだろう。

そして「~てあげる」を連発してしまうようになる。ただ、日本語の「~てあげる」は家族や友達同士ならいいが、先生や上司など目上の人には使えないし、職業としてそれをするのが当然だと考えられている場合は使えない。

教材の改良に伴い、中国語母語の学習者が「~てあげる」で日本語母語話者を悩ませなくなるのと、日本語母語話者が外国人の話す日本語に慣れ、「~てあげる」くらいのことで目くじら立てなくなるのと、いったいどちらが先だろう。

進め! グローバル化!

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